地震の時(詳細・長文)

2011年 3月13日

2011年3月11日。

この日は、先日駅前の契約している駐輪場でダンナのGIANTを悪戯されたために、パーツの発注をしていた大きい自転車屋からパーツ入荷の連絡を貰っていたので、それらを取りに行く予定だった。

と云うのも、この週末は、ラー飯能でカートレースの開幕戦があり、土日はラーに行くため、自転車屋にパーツを取りに行くのは困難だったからだ。
レース後に、ダンナが自力でチャリを治し週明けから自分のチャリで通勤出来るようにするために、私が先に取りに行った方が効率が良いと思った。

そろそろ出かけようかな…と思っていた頃、久々にオカンがふらりと遊びに来た。
オカンがKayのことを見ているから、一人で取りに行ってくれば? と云ってくれたので、一人で行くことにした。

洗濯物を干して行きたかったので、それらを済ませ、家を出たのが14時10分頃。
Rayが学校からもどって来るのは、大体15時前後だが、オカンが家で留守番しているのでその時間帯に私が戻ってこられずとも安心だ。

エントランスで、ママ友に遭遇し、Rayが卒園した幼稚園に現在子供が通っているので幼稚園の近況を教えて貰ったりしていた。
で立ち話20分近く(笑)

それから出発した。

エルグHPSでチャリのパーツの一部をエルグに積み込み自転車屋へ。
場所は246近くの江田界隈にある大きな自転車屋で、家からは幹線道路を1本走り続ければ着く。

走り始めて、丁度いつも家が愛用している日産のDL前で、信号待ちしていた時のこと。
いきなりグラグラ揺れを感じる。

うわー、地震だー

と関東圏に住んでいるため、小さい頃から地震は体験してきたから割と落ち着いていた。
でも、自分で運転中に地震に遭うのは初めてだったので、ちょっとドキッとしていたその時。

気が付くと日産のDLが真っ暗。
アレ? 今日金曜だよね? 定休日じゃないのになんでこんなに暗いの?
と思いながら建物を見たら凄いぐわんぐわん蒟蒻みたいに揺れている!
もの凄い揺れ!

これ、震度3とか4とかのレベルじゃないなって思いつつ、目の前の大きい交差点の信号が消えていることに気が付く。

あ、停電だ! とその時初めて気が付いた。

で、後から冷静に考えれば、その段階で直ぐに家にUターンすれば良かったのに…と思ったのだが、その場はやっぱり動揺していたようで、兎に角早くパーツを取りに行って、直ぐに家に帰らなければ! って思っちゃったんだよね。

暫く揺れが治まるまで周囲の車も全部が停まっていた。
私は追突が怖かったので、その場でPに入れハザードを点けて停止していたんだけど、徐々にゆっくりと前の方から車が動き始めてきたので、信号が消えているので、対向車だけでなく、十字の左右の方向からもジリジリと車が。
事故を起こさないように慎重に運転しつつ、信号の消えた交差点はクリアし、運転しながらもオカンの携帯に電話をかける。
(家はBluetooth対応の車なので完全ハンズフリーで電話がかけられ、車内のスピーカーから相手の通話は流れるようになっている)
が、全く繋がらず。
繋がらない所が、電話をかけても速攻切れる…と云うのの繰り返し。

メールもSMSは全く送れない。

一先ずEメールの方で送ろう…と送っておいたと同時にダンナにもメール。

ダンナの方がまだ対応が早く(もしかしたらダンナがiPhoneだからサーバーが違うのかも?)タイムラグがあったものの、レスが届いた。

兎に角早くチャリ屋に…と気が焦るが落ち着いて安全運転を心掛け運転。
走っている最中、神奈川県警のパトカー何台も遭遇する。
あちこちで停電が起きて信号が消えているため、対応するのに移動しているのだろう…。

チャリ屋の所はT字になっているのだが、そこも信号が消えていて、こちらは既に警察が対応、手旗信号で指示を出している状態だった。

でチャリ屋に到着する直前、第二波が来たと云うか…先程の地震よりは強くないけど、それでも結構強い揺れを感じ、緊急停止する周囲。


震度4ぐらいだろうか…

そんな状況で必死になってチャリ屋に到着したと云うのに、届いていたパーツは26インチ用で(ダンナのは28インチ)確り型番も写メして見せたりしたのに、発注ミスしていて、私の努力は無駄に終わったと云うオチ…(苦笑)

親と連絡が取れない状態だったので急いでUターン。

家に帰って確認したが、凄い揺れたけど、荷物など少し落ちた程度で、リビングの大物なんかは崩れることもなくみんな無事でホッとした。

Rayはたまたま担任の先生がインフルエンザらしく(苦笑)木曜から学校をお休みしている関係もあり、普段の帰宅時間より早めに学校を出て、近所の7-11前で地震に遭遇して、周囲に居た友達たちとみんなで固まって蹲ったって話していた。

自宅に帰って気が付いたのだが、地震発生直後から停電していた。

自宅に帰るまでの道のり、あちこちの信号が消えている状態で、大きい交差点はそれでも警察が対応してくれていたけど、小さい交差点は非対応で結構怖い。
どうも地域大々的に停電が起きているようだ。

と云うことで、家電も使えず(苦笑)
携帯だけが頼りなのに全く通じず。
SMSも送れないのでEメールでダンナにはメール送っておいたのだが、遅延しつつもそんなにタイムラグなくレスが来て取り敢えず無事だったことは分かった。

で、TVも付けられないため状況も分からずだったので、POCKET WiFiを使って、MacBook Proも蓄電されていたバッテリーで起動。
いやー、こういう時、ホントPOCKET WiFiに加入しておいて良かった〜って実感。
しかも、今週はダンナが仕事で使うからって週の頭からPOCKET WiFiを持って行っていて、前日持ち帰ってきたので、タイミングがずれていたらネットで確認も出来なかったのか…と思うとかなり怖い(苦笑)

ネットを繋いで状況を確認するも、ネットのニュースも大した情報入手が出来ず。

現状でどうなっているのか詳細が分からない。

東京電力のHPを覗いたら関東圏大々的に停電が起きていると云うのが分かった。
地域を絞って確認すると、家の地域は殆ど全滅なようだった。

何時復旧するのかの目処は立っていないようだ。

うーん、最悪電気なしで過ごさなければならないのか…と思いつつ、コールマンのランタンはあるが、私では付けられない。
一先ずダンナが何時頃帰宅出来るのか確認しよう…と思いつつTwitterを確認したら、ダンナからリアルタイムで「生きてるー?」とツイート。
お互いフォローしていないと云うアホな夫婦なので(爆)お互いのTLの流れは分からんが、お互いアカウントは知っているので(笑)

いやー、今回リアルタイムで連絡が取れたのはTwitterとSkypeだけだってね。
私はSkypeはやっていないんだけど、Twitterにはホント助けられた。

Twitterを登録していない人は、是非この機会に登録してみてください。
携帯からでも簡単に登録出来るし、もしもの時には使えると思う。
GPS機能も普段は解除しているけど、こういう時GPSを使って位置情報を知らせてツイートして助けて貰うってことも可能だし。

で、ダンナからのツイートで添付されていた画像がコレだ。

ダンナの会社。
10F建ての10Fなので、震度7ぐらいの体感だったようだ。
惨状だ…

名刺は散らばるわ、iMacは倒れるわ、棚ごとひっくり返っているわ、棚の荷物は全部散らばっているわ…
後にダンナにその時のことを聞いたら
「兎に角棚が倒れたら危ないからって必死で棚を抑えたんだけど、もの凄い揺れで、棚を抑えているんだか棚にしがみついているんだか分からない状態だった」
って。

取り敢えずTwitterで連絡が取れると云うことが分かったので、Macのバッテリー残量も心配だったし豆にノートを閉じておくようにした。

で、次にガスが点くか確認したらガスは大丈夫だったが、水道はかなりちょろちょになっていたので、一先ずやかんにいっぱい飲み水用として水を溜めておいた。

お風呂は洗濯に使ったので半分ぐらいしか残り湯がなかったが、トイレを流すぐらいには使えるし、こういう時のために庭には20リットルのポリタンクに水は溜めて置いてあるし、避難袋の中に2リットルの水もあるので、お風呂に水は溜めなかった(家で溜めて他で食べられなくて困ったら大変だし…)
で、水道はやかんに溜めた後暫くしない内に止まった。

オカンはひとり暮らしなので一緒に居た方がいい、と話をしたのだが、内より実家の方が全然古い建物だし、いくら実家が3Fとは云え仏壇が倒れていたりしたら心配だから…とオカンは夕方家に戻った。

相変わらず携帯は繋がらず。

ホントネット環境が使えてTwitterがリアルタイムでやり取りが出来て良かったと心底思った。


段々暗くなってくる。

Rayはマンション内のエントランスにみんなが集まっているよと云ってきたので、家も敷物とお菓子、飲み水、防災袋、Kayのベビーカーを持ってエントランスに行く。
もしこの地域で避難命令が出た時、みんなで行動した方がいいから…と小学校の子供が居る所の大半は集まっていた。
マンション内の人ではなかったけど、同じ学校の登校班の向井のアパートの人も心細いから、と一緒に集まる。

INさんの所は3人娘で、一番上が4年生、2年生、保育園なんだけど、両親共に共働きで、今は上の子と2番目の女の子だけしか居ない。
幸い、他のママ友が、INさんのパパと連絡が取れたそうだが、パパは案の定電車が既に全線どこもストップして交通が麻痺している状態なので帰れないかもしれない…と話していたらしい。
最悪の場合、夜はママ友が預かるからって話していた。
ママとはその段階では連絡が取れなかったらしい。

他の階の女の子も両親が共働きで、パパが2駅だか歩いて何とか17時半頃帰宅。

他にも同様なことがあってみんな自力でバスや徒歩で何とか帰ってきた…と云うパパやママが何人か居た。

家はダンナの会社は千葉だし、ダンナもTwitterで「帰れない」ってツイートしてきたので、3人で今夜は越さなければならないな…と覚悟を決める。

だがエントランスは当然ながら寒い。

ここでみんなで一夜を明かすのは無理なので一端解散。
もし何かあった時のことを考え、敷物なんかはそのままにしておくことにした。

18時過ぎに家に戻る。

普段なら自動的にメールは受信するよう設定してるいのだが、こういう災害時はそれが通用しないので、定期的に自分でサーバー側に新着メールがないか確認していたらオカンからメールが届いていた。

遅延していて1時間ぐらいタイムラグがあった。

オカンのメールでは、停電はしていないけどガスが止まっているからお風呂に入れない、と書かれてあった。

それは多分地震が起きるとメーター側で自動的にガスが止まる仕組みになっているから、メーター側でスタートさせれば使えるはずだ。

メールで返信しようと思ったが、タイムラグがありすぎるし、オカンはTwitterなんか使えないので、何とか電話が通じないか…と電話で連絡を繋ごうとねばってみることにした。

取り敢えず懐中電灯とキャンドルがあったので、ロウソクに火を点けてロウソクの灯りだけで何とかギリギリ確保って状態。
Macのワイヤレスキーボードからエネループを取り出し、予備で何本か充電して備蓄しているので、それらを使って懐中電灯を点けた。
エネループ、いいね!
停電が解除になったら出来る限りエネループは充電しておこうと思った。

ガスは使えるので夜ご飯は作れるが、Rayはやっぱり電気が使えないのが不安なようで、オカンの所に行こうってしきりに云う。
でも実家は動物禁止なので、nismoを連れていくことが出来ない。

余震は今後も続くと思うが、こんなに大きい地震は来ないと信じたい。
でも絶対来ないとは限らない。

どうするか考え、nismoは水と餌をたっぷり与え、実家に避難することにした。

結論を出した頃、オカンと奇跡的に電話が通じる。
ガスは絶対使えるはずだと話し、実家に避難すると連絡してみんなで家を出ることにした。

取り敢えずRayは自分の荷物を纏めさせ、着替えと懐中電灯を持たせる。
私はnismoのメッセンジャーバッグにPOCKET WiFiのセット一式と、iPod Touch(これには地震予測を教えるアプリを入れてあるので、3G非対応になっているがPOCKET WiFiで利用は出来るので持って行くことに)Mac Book Proと携帯の充電器とKayのオムツを入れ、着替えはそのままでいいので必要最低限の荷物だけ持って実家へ向かった。

実家は幹線道路を挟んで反対側にあり、来るまで7分程度で着く。
車を停めるスペースが実家にはないので、最初はベビーカーで徒歩で行こうかとも考えたのだが、徒歩だと25分かかる上に、夜はかなり北風が冷たく吹いていて風邪を引いたら元も子もないし、実家近くのコインパーキングに停めるしかないな…と覚悟し出発した。

出る直前にダンナにはTwitterで実家に避難することをツイートしておいた。

幹線道路まで来た時、案の定信号が消えているので警察官が手旗信号で誘導していた。

その交差点の目の前にはHONDAのDLがあるのだが、警察官と一緒になって歩行者と車の誘導を率先して行っていた。
確かに帰れないだろう。
車で帰れないことはないとは思うのだが、それでもこうやってボランティアとして率先して誘導を手伝っていた姿勢に心打たれた。

歩行者がかなり居るので中々こちら側が発進出来ない。

普段だったら7分もかからずに到着するのに、20分以上もかかってしまった。

家を出てから一面真っ暗だったのに、幹線道路を渡って少しすると普通に灯りが…。

実家近くの7-11は電気も点いていて営業している…とマンション内のパパが買い出しに出た時話していたけど、局地的に電気が使えているようだ。
隣の駅の地域も部分的に電気が点いていたって話していた。

コインパーキングは狭く、満車になっていることが多いのだが、幸い1台も停まってなかったため、狭い中何十回も切り返してオシリから突っ込んだ。
出る時楽なようにど真ん中に(笑)

やっと実家に到着した時、温かい室内に感動。
その段階で20時前だった。

オカンが「ダンナから電話があったけど未だ着いてないって話したらまた後で電話するって」と伝達が。

ダンナにEメールで「実家に着いた」と送っておいた。
タイムラグはあるものの、メールは取り敢えず機能している。

その段階で初めてTVを見て、今回の地震と津波を見てビビる。

ダンナの兄家族は現在転勤して青森に居るのだが、2年前までは被害が酷い宮城県の岩沼市に居たので、転勤していてある意味良かった…と思った。
だが、ダンナの兄嫁の実家は仙台市内なので安否が気になる。

その後、夜ご飯を食べRayからお風呂に入り寝る準備。
布団2組で4人で寝ようと云うことになり、Rayはオカンと一緒に寝ることに。

Kayは環境が変わると眠いけど中々寝られずグズグズになって大変なのは、ダンナの実家に帰省して何度も体験しているので今夜も殆ど寝られないかもな…と思っていた。

ダンナから携帯の方が通じて電話が入り親戚関係の安否の確認出来ていることを聞いた。
おばあちゃんは高齢だし一人だし、あの家、凄く古いから大丈夫かな…と思っていたのだが、こけしがひとつおっこちただけって話だった。
どうもあの辺りは地盤が固いようで、地震もそんなに揺れなかった様子。
青森の方も大丈夫だったが、ダンナの兄は会社に待機でその日は家には戻れないと云う話だった。
兄嫁の仙台の実家にはまだ連絡が取れないとのことだった。
心配だ。

私の方の親戚は新潟だが、あっちも地震が頻発している。
だが、新潟中越地震の時のように大きな地震はまだないので大丈夫かな…と思っていた矢先、新潟に居る従姉(オカンの姉家族)から電話が入る。
A子の妹のH子が私の一番仲がいい従姉で、こちらで現在ひとり暮らしをしているので、連絡が取れたか確認したら、仕事場から2時間かけて徒歩で帰宅したら停電だった…と連絡はあったとのこと。
土日は仕事がたまたま休みだから一先ず安心と云うことだった。

私も流石に疲れて眠くなってきていたし、こういう時は寝られる時に寝た方がいい…と思っていたので23時過ぎには布団に入った。

Kayは愚図っていたが直ぐに寝墜ち。

私もうとうとしていたのだが、携帯がこの時間帯になってやっと受信メールを自動的に受け取るようになって頻繁にメールが届く。

念のためと思ってmixiとココ、ニチジョウサハンジに無事だと云うことだけ書いておいたのだが、それを見て心配して連絡をくれたR明母さんや、大阪時代の同級生、高校時代の同級生や親戚から続々メールが届く。

携帯をバイブに切り替え寝入った矢先、24時半頃ダンナから電話。
携帯に最初あったのだが、もう眠いし留守電に切り替えたら家電に電話がかかってきたので慌てて出る。
そのちょっと前にKayが案の定泣き始め、これではオカンが安眠出来ないな…と思っていた矢先の電話だった。

ダンナは地震の後、危ないから外に出て、そこから暫く歩きタクシーを拾えたが、渋滞が酷く降りた後、また徒歩。
途中マクドで食事を摂るも、もう在庫がなく選べる選択肢がなかったと後から聞いた。
社長と行動を共にしており(社長はダンナの友達)Aっちの家は千葉なので、オクサンのSちゃんに車で迎えに来て貰ってピックアップして貰い社長の自宅に居た所電話してきた。
その段階で都内の地下鉄は殆ど運転を再開していたので、何とか駆使して渋谷まで出て、渋谷から私鉄で地元駅まで向かおうと思うと云う連絡だった。

日曜はラーで開幕戦だが、ダンナが帰宅出来そうにないと話していたのだが、帰宅出来て行く気力があるなら行く…と。
色々パーツを渡したり、ゼッケンを渡したりすることがあったし、家もバンパーを装着しなければならなかったので出来ればレース当日の朝、時間のない中でバタバタするよりはいいし…と思っていたのでそれはそれでよし。

Kayもグズグズだしダンナが帰宅することになったので、Kayだけ連れて家に帰ることにした。
オカンもゆっくり寝られないと可哀想だし、Rayはぐっすり寝ているから、オカンが土曜、近所のスポーツクラブに通っているので、一緒にRayと家を出てそこからは自力で帰ってこられる距離だから明日の朝、帰してくれればいいから…とオカンにRayをお願いして。実家を後にする。

その時、大体1時前。

グダグタなKayを連れ帰宅。

マンション内のママ友には実家に避難することは連絡していたので、停電が終わったら連絡を貰えるようお願いしていて、停電は23時半頃終わったけど水道はまだ使えないと教えて貰っていたので、帰宅すると云うことも出来たと云う訳だ。

二次災害ではないが、実家に避難中に火災が発生したら怖いので、ブレーカーは落として避難したので冷蔵庫の中味も心配だったし、このタイミングは良かったのかも…。

急いでブレーカーをあげ、nismoを確認。

元気にう●ちをこんもりしていた…(苦笑)

Kayを直ぐベッドに連れていき寝かせ、TVで現状を確認。

Macをネットに繋いで確認したら、ダンナがツイートしていた。

2時頃、ダンナママとダンナの兄嫁からメールが届く。
時間は21時後半から22時頃に送信したDoCoMoからのメールだが、4時間遅延してその時間帯に届いた。
遅い時間だったが、どうせ遅延するだろうと思いその場レス。

一先ず寝ることをメールして2時半頃寝墜ち。

ダンナが帰宅してラーに行くかもしれないため(まぁ多分ないとは思っていたけど…)6時に目覚ましをセットして寝るが中々寝付けず。
ウトウトしてきたかな…って時にダンナが帰ってきたような音を確認しつつ寝墜ち。
目覚ましで一端起きてダンナにここまでの経緯を聞く。

一睡もしていないのでこれで運転は怖いし、こんなに被害が凄い状態になってきているのだし、レースは中止にならないの? と云う話をしたりした。

6時半を越えた所でSHYママに電話して、ラーに行くのであれば、持って行って貰いたいモノをお願いしたい…と話したが、SHY家も行かないと。

取り敢えずレース参戦関係の人たちに中止になった方がいいかどうかの確認を取ったりして、関東では大した被害は出てないけど、この状況下でレースをするのはちょっと…と思っている人が大半だったので、ラー側に電話をして、中止にした方がよいのでは…打診したりした。

凄く眠かったが、Rayも午前中には帰ってくるし、現状の情報を知りたかったので私はTVを延々と見続けネットでの情報も確認。
ダンナは炬燵で寝墜ち。

そんな感じだった。

午後は、カートのリヤバンパーを取り付け。


元々前日練習の今日、ラーで取り付けて走行予定だったのだが、1カ所溶接が必要だったので、ラーでは付けられなかったと云うオチ。
中井は溶接機があるけど、ラーにはないので、ある意味これもタイミングが良かったんだ…と痛感する。


今回の地震で、ホントにTwitterが役に立った。

AUTECH RQの美波千夏ちゃんが、金曜幕張で仕事があって、幕張で閉じ込められた状態で、具合も悪くなってツイートして情報提供を求めて、何とか自宅に戻れてホッとしたり。

その中で凄く興味深い、感動的な公式ツイートがあったので抜粋しておく。


外国人から見た地震災害の反応。
物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。
運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。
この光景を見て外国人は絶句したようだ。


CNNでもBCCでも絶賛されている。
「有史以来最悪の地震が、世界で一番準備され訓練された国を襲った。犠牲は出たが他の国ではこんな正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている。」



暴動が起きたり、それに便乗して、強盗に入ったり…

そういうのを世界での災害時、ニュースの画面で見てきたからね。
それを思うと、やっぱり日本人って、こういう所が気質って云うか、律儀な人種だなって思うし、それとともに誇りに思いたい。


これmixiに上げておいたら、何だか凄い反響があったらしい(笑)

そしてまたTwitterで反響が。

節電徹底へ「ヤシマ作戦」賛同者がTwitterで広がる

と云う記事を読んだ。

「ヤシマ作戦」で分かった人はちょっとヲタクだな(笑)

抜粋

Twitter上では「ヤシマ作戦」と名付けた節電への協力が広がっている。
ヤシマ作戦は、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に登場した作戦名。
第5使徒ラミエルを狙う超長距離射撃のために日本中から電力を集めた作戦の内容になぞらえ、電気を多く使う炊飯を午後6時前に済ませるピークシフトへの協力など、節電の呼びかけが拡散。
アニメのヤシマ作戦では日本中が停電したが、こちらのヤシマ作戦は停電回避に向けて賛同者が団結している。
Twitter上での動きはハッシュタグ「#yashimasakusen110312」で見ることができる。



ほんの小さなことだけど、家も少しだけ節電に努めたつもり。
昨日は9時間停電だったけど、今日は停電にならなかった。
明日も節電しよう。


やっぱり日本人って凄い!


日本は今まで世界で起きた災害時、率先して救助に支援してきた。
そして今、世界がそういう日本を救おうと立ち上がってくれている。

世界中の人が「Pray of Japan」と称して日本を応援してくれている。

日本はちっぽけな島国だ。

でもスマトラ地震の時よりもしかしたら津波は酷かったのかもしれない。
でも死者はスマトラ地震の時より全然少ない。

これは、日本が地震に備えて訓練している国だからだ。
でも訓練しているからと行って自然の猛威を完全に回避することは出来ない。

被害地での光景を見ると、家は停電程度で済んでいるから恵まれている…と思う。

だから少しでも節電をしなければって。
それを感じてこうやってTwitterってみんなで呼びかけ少しでも節電に協力出来る、しているって云うのが凄い。

一人ひとりの力は小さいけど、それが沢山集まれば大きな力になる。

今回の地震で、ホント日本人て凄いと感じ、誇りに思った程。

被災されたみなさまには、心よりお見舞いを申し上げます。
また、亡くなられた方々にも心よりご冥福をお祈りいたします…

被災地で避難生活を送っている人が、少しでも心休まるようになる時が早いことを切に願います。

2:17 カテゴリー:Nursery's Diary



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