出産から退院まで その1

2008年 11月7日

11月1日。

10時過ぎに病院に入る。
バスがタイミング良く乗れたものの、超満員で立ったまま駅前まで…(苦笑)
そこから徒歩で病院まで来た。

産道は大分柔らかくなってきているものの、まだ陣痛の間隔は短くない状態。

ノンストレステストを受けてお腹の張り具合と胎児の心拍を確認したりして、胎盤の元気度などを確認したものの、至って元気。

先生的には、まだ促進剤を使ってどうこう…と云う母体や胎児に対する危険度がないため、自然に陣痛が来れば…と考えているみたいで、一先ず、ダンナが里帰りMTG(AUTECHオーナーの為のMTGのイベントが本日、大磯ロングビーチで行われているのだ)から帰ってくる夕方まで、病院で入院することに。

昼食。

病院に居てもすることもないだろうし、家に帰って色々と動いた方がいい…って話だが、タクシーは3連休の関係で呼んでも30分近くかかるって云われたし(電話して確認してみた)陣痛や破水が来て、バスに乗って来るにしても、10分、15分では病院まで来られない。

と云うことで、ダンナが帰ってくる夕方までに産気づいたらそのまま入院だが、まだ時間がかかりそうって状態だったら一端、帰ることになりそうだ。

でも、今までよりは頻度が高めでお腹の張りは出てきてはいる。


もう、病院は完全に私一人の貸切状態(爆)

先生も看護士も助産師も、家の家族もみんなヤキモキして出てくるのを待っている状態だ(苦笑)


**********

夕方まで陣痛らしい間隔が大体20分前後。
まだまだ定まった感じではなく、産道は柔らかくなってきているものの、子宮口は2cm程度しか開いておらず。

夕方になってダンナとRayが病院に立ち寄った時、一端一緒に帰って、間隔が15分で定まったら再び病院に入ればいいから…と先生に云われたが、荷物の一部を纏めて、着替えて移動した所で、ある一定の間隔で陣痛は来ているし、それで家に帰った所で、何も出来ないだけでなく、nismoが居るからゆっくりもあまり出来ないだろう…。
それに間隔が定まったらまた病院まで移動しなければならないのも、面倒(と云うのと大変そう)と思ったので、結局、そのまま病院に残ることにした。

17時に夕食(はやっ)有頭エビのフライだったため、Rayが凄く食べたがっていたのだが、その後何も食べられないため、自分が食べるようだからと説得(笑)

ダンナとRayが帰宅後、夕食を食べTVを見ていたら、15分間隔で陣痛が来るように…。

来ない時は大丈夫なんだが、来ている時は結構悶絶。

家に帰っていたとしても、直ぐにこの間隔になっていたし、家に戻った所で、悶絶していた訳だし、何も出来ない上、nismoにちょっかいだされたりしていたゆっくりも出来なかっただろうから、病院に残って大正解だったかも。

その後、23時台には頻繁に陣痛が来るようになり、暫くは自分で頑張って、お尻の上辺りを拳で叩いて何とか陣痛が来た時、息まないようにしていたが、1時半にはとうとう我慢出来ず、ナースコールを。
夜勤で入っていた助産師が、同じ名前のKさんで、とってもチャキチャキしていて話も合う感じだったので良かった。

Kさんに叩いて貰ったりしていたのだが、間隔がとうとう5分を切るようになり、分娩台の準備をしてくるから頑張って、と云われ頑張ろうとするものの、あれに我慢するって云うのはかなり無理が…(苦笑)

結局、再びナースコールをして、Kさんを呼び、陣痛が治まった時に手助けして貰いながら何とか分娩室へ移動。

もう息みたくて、出そうだしヒーヒー云っていたのだが、Kさんに退院を早めたいんだったら、出来るだけ息まず、縫わないようにすること、と云われていた。
だが、あの状況になると、もうどうでもいいや…的な気分になり(爆)

1時50分頃、分娩室に入って椅子に座って陣痛と闘っていたのだが、もう我慢出来ず。

Kさんが、先生に連絡を入れようとしたのだが、電話の呼び出し2コールで、私が次の陣痛の波が来て悶絶し息み始めてしまったため(爆)電話を切り慌ててこっちに戻ってお尻の辺りを抑えた。

もう無理〜と話して、分娩台に上がったのが2時。

待機していた先生も直ぐに来て、それから出来るだけ陣痛時呼吸で逃げるようにして、出来るだけ息まないように…って云われて、実際Rayの時も経験したし、頭では分かっているのだが、実際それを出来るかって云うと、出来ない!(爆)

結局、陣痛の波に我慢出来ず、息むことにして、髪の毛が見えてきたよ〜って云われてからが、もう息む、の繰り返しで、バチだか、ガキだかって音がしたと共に、結局避けた…(苦笑)

もうその時は避けて縫ってもいいや…って考えしか浮かばず。

早く出したい一心で(笑)

結局、分娩台に上がって18分で、11月2日、2時18分、3156gで男子を出産した。


今回は産まれた瞬間をカメラで抑えることも出来ず。
まぁ貴重品は持ってきていたので、ケータイで撮れば撮れたのだが、今のシャアケータイのカメラの質は悪いので、瞬間は撮らなかった。

たまたま、出産途中にダンナからメールが入っていたので、確認しつつ、電話を入れ産まれたことを報告。

数分後、病院に到着。
そのまま分娩室に入ってきても良かったのだが、ダンナ、血とかダメだから(爆)助産師が、ある程度その辺のものを片付けてから分娩室に入ってご対面。

元気に産まれてきたのだが、右耳が塞がったままの状態で産まれてきた。

左耳はちゃんと普通なので多分問題ないだろう…と云う話だった。

退院後、大きい病院で形成外科と耳鼻科で精密検査を受けるようになるって説明を受ける。

身内に同じ状況なのがいるので、それほどショックはなかった。

左耳だけでも聞こえていれば、生活に支障はないってことが分かっているので。

今の医療技術は発達しているので、綺麗に形成出来るだろう。

近眼は遺伝率が高いため、ダンナの亡くなった父も酷い近眼だったし、ダンナもかなり悪い。
Rayも何れメガネを使う可能性もある。
まぁ、生活環境で、目が悪くならないように確り見ていれば、ある程度は回避出来るって助産師には云われたけどね。

この子もメガネがかけられる状態には何れしなければならないだろうな…。

後産後、避けた部分を先生に縫合して貰って、局部麻酔を打って貰うのだが、前回よりは効いていたがやはり肛門傍は効かないから悶絶(爆)
それが終わってからダンナが分娩室に入れたので、ダンナは卒倒せずに済んで良かったよ(爆)


病院は完全私の貸切状態なため、先生も助産師も独占状態(笑)
謂わば、完全看護状態なセレブを堪能出来ている状況だ(爆)

他に入院者も出産した人も当然居ないので、部屋も個室の中では陽当たりのよい広い部屋を使っているし、看護室から一番近い所に居るし、個人の産院だからフレンドリーでアットホームだし、地元だし…ここの病院で良かった。

そんな具合で、院内でケータイを使ってもオッケーだし、一応、消灯時間は21時だが、その後もTVなど見ていてもオッケーだし、そういうフリーな点は有り難い。


貸切状態なため、子供の取り違えとか間違いなども起きる訳もないのだが(爆)一応儀式みたいな感じで、子供の足の裏か脛に名前を書くことになっているって云うので、ダンナが脛に大きくひらがなで名前を書いて笑っていた(笑)
「タトゥーみたいだなー」って(笑)

その後、2時間は分娩台で点滴を打ちつつ、経過を診るため残っていたのだが、その間もダンナは子供を抱いたり見たりしつつデジカメっていて過ごし、2時間経ったので部屋に戻ったが、前回同様立ちくらみが起きた。

前回は産んで後産が終わった後、気持ち悪くて直ぐに吐いたのだが、今回、それがなかったので大丈夫か? と思ったのだが、部屋に戻る前にトイレに立ち寄って行ったのだが、立ちくらみが酷い上、やっぱり気持ち悪くなって、トイレで吐いた。

ベッドで横になっていれば取り敢えず安定しているので、痛みと耐えながら、暫くダンナと話をしたりデジカメったりして、ダンナが病院を出たのが、5時半前。

その後、直ぐにブログに報告と画像をアップして寝たようだ。

19:44 カテゴリー:Nursery's Diary



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