運命なのか、それとも宿命なのか…
12月6日は、私の母の誕生日。
母の誕生日には、異様な、そして鮮明な記憶がある。
キーワードは3つ。
冷蔵庫
死
誕生日
誕生日、と云うのは当然母の誕生日だからなのだが、冷蔵庫…と云うのは、実家(現在は母が一人暮らしをしている)の冷蔵庫が壊れて、母の誕生日に新しい冷蔵庫がやってきて、嬉々として、新しい冷蔵庫に野菜とか飲み物とかを入れている母の姿。
そして、新しい冷蔵庫に荷物を入れていた時、母の実家からの電話で、母の父(私の祖父)が99歳と3ヶ月弱で他界した…と云う3つのことが、どうしても鮮明に思い出してしまう。
母は、7人? 兄弟の末っ子で、一番上の兄とは結構年が離れているので、私の従姉もどちらかと云うと、母の年に近く、従姉の子供の方が自分と年が近い…と云う関係。
小さい頃、夏に帰省するとこの年齢差もあり、周囲にはオトナの方が多かった…。
末っ子の誕生日に昇天する(しかも老衰で数日前に風邪を引いて、そのまま眠るように逝ったので、大往生だった)なんてね…と親戚から云われていたが、今日の明け方、母の兄が永眠。
祖父だけでなく、叔父までもが母の誕生日に逝くとは…。
叔父は、かなり我慢していたようで、症状が出始めた頃が何時頃からだったのか定かではないのだが、限界が来て病院で検査した時は、既に末期の胃ガンで、あちこちに転移していて、手の施しようがない状態だったようだ。
それでも、痛みはさほど感じることはなく、ここ数日、痛みでモルヒネを使っているせいで朦朧としている…と云うことは耳に入ってきてはいた。
それでも、最期は眠るように逝ったそうだし、入院した9月1日から3ヶ月。
家族の手をそんなに煩わせることもなかったそうなので、ホントに祖父といい、叔父といい、いい死に方をしているな…と母と話していた。
自分が年を取ると云うことは、新しい生命の誕生と共に、誰かの死にも近づく…と云うことだ。
これはどうすることも出来ないが、周囲が大変な思いをしたりとか、本人が藻掻き苦しむ程の痛みを伴ったり…とか、そういう辛い死に方だけは厭だな…と思うようにはなってきた。
叔父と最期に会ったのは、従姉姪の挙式の時だったが、その時はまだ全然元気だった時だったので、相変わらず無口にお酒を呑んでいるな〜、と云う印象だった。
叔父と生活を共にしていた訳ではないが、叔父はいい人生を歩めたのではないだろうか…。
自分の孫たちの挙式にも参列でき、ひ孫にも恵まれたしね。
母は、明日から新潟だ。
暫くは新潟に滞在するようだ。
まぁこういう時でもなければ、新潟に帰ることもないだろうから、ゆっくりしてくればいい…と思う。