慶應ラグビー部

2000年 2月5日

昨日、元会社の呑み仲間と、久々に呑みました。
珍しく? 家に帰ってきた時はベロベロに酔っぱらってて(爆)でもちゃんと化粧を落として寝ていたのには自分でも感心したよ(爆)

さて、その飲み会に出席する前、渋谷のぴあで、ラグビーの日本選手権のチケットを購入しました。
実に7年ぶりぐらいだと思う。
私のラグビー狂は知る人ぞ知るってなもんで、10年ぐらい前なんて、もーそれは凄くて高校の時にテレビでたまたま見た慶應の試合で、14番を付けた若林俊康が一人で3人だか4人を抜いてトライをした瞬間を見て以来、私は「若」にメロメロになってしまい、それ以後ずーっと慶應ファンを続けているのだ。
しかし、元々慶應は他の大学と違い、スポーツ推薦制度がない学校なので、慶應ラグビー部に入りたい、と思う選手は自力で勉強をして、慶應義塾に合格しなければならない、というとても高い門があって、なかなか恵まれた選手がいない、というのが慶應の最大の難題で、現実という …
だから大学日本一になり、社会人トヨタ自動車と戦って、見事日本一を勝ち取った時代の慶應にはとても恵まれた選手が多かったのかもしれない。
とは云っても恵まれていたのは最初からの訳はなく、当然扱きにしごいてスキルアップをしていい選手が育ちその結果が日本一になった訳で、それは想像できないぐらい凄い猛練習だったに違いない。
私が高校の頃は、そのエース若林が在籍中だったので、慶應も強かったけど、その後は強い選手が卒業して行き、みるみるうちに低迷期を迎えるんだけど、その後も一度、第二期黄金時代と云われた時があって、その頃までは私も自分で試合会場に足を運んで観ていたんだけど、確か94年ぐらいまでだったと思う。
その頃は観ていても悔しい思いばかりするし、春のオープン戦も昔は大学のグラウンドで試合をしていたので、入場無料だったのが、オープン戦ですら会場でするようになってお金を取られるようになり、その頃から徐々に観なくなってしまったのよね。

で、前シーズンで結構慶應がそこそこいい成績だったらしい…と云うのは何となく分かってたけど今シーズンは何と、大学選手権に出場する、と聞き、本当だったら会場に試合を見に行きたかったんだけど、チケット事情もラグビーがどれぐらいの人気なのかも分からない今では当日、会場に行ってもチケットがあるのかどうかも分からない状態で、会場に行くには、私はあまりにも歳を取りすぎてしまっているし(爆)
結局、翌日の新聞で結果を見る …と云うことをしていたのでした。
でも、流石に大学日本一になり日本選手権一回戦で負けてしまうかもしれないけどどうしても観たくなって、昨日チケットを購入した、という訳。
流石にいい席は売り切れだったけど、まぁどこでも生で観れればいいので、2月13日は実に6年ぶりに生でラグビー観戦をします。それもダンナと(爆)
ダンナとラグビー観戦は元より、スポーツ観戦するのは初めてなので、楽しみだよ。
しかし、私はラグビーを観ると人が変わるので、一緒に行ってダンナは吃驚するかもしれない(爆)

慶應ラグビー部が大学日本一になった翌日の朝日新聞で、三面記事に若林が載っていて私は、そこで初めて彼が92年10月に、試合中けいついを損傷し、半身麻痺、言語障害が出てしまったということを知り、とてもショックでした。
私にとっては、ラグビーの魅力を彼が教えてくれた訳で、スポーツ推薦制度のない慶應でもがんばって努力をすれば、勝負に勝つことだってできる、というのを身を以て証明し、当時のラグビーファンの誰もが「俊足の若林」を知らない人はいなかったしそして、誰もが感動していたに違いない、そんな素晴らしい選手が大好きなラグビーは疎か日常でも大変な思いをしている、と知って本当に衝撃的だった。
現在は結婚もして、リハビリを続けて日常生活は問題なくなってきているみたいだけどまだ34歳なのに、と悔いが残る思いでいっぱいです。
でも彼は未だ諦めてはいなくてリハビリを続けて、いつか必ずラグビーをもう一度、と思っているみたいで時間が沢山かかってもいいから、いつかまた彼が 楕円球を追えればいいなぁ、と今は心から思っています。
本当、頑張って欲しい。

18:28 カテゴリー:82's



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