Nursery’s Diary

謝恩会@Ray

2014年 3月20日

卒業式の後、夕方から謝恩会が地元にある大学内の食堂で行われることになっていた。

卒業式そのものは、12時過ぎ終わったが、その後記念撮影や、みんなで撮影など色々とやっていたので帰宅したのは13時を回っていた。
もうそれからご飯を作るのは面倒。
ってことで、卒業式の学校帰りにコンビニでお昼ご飯を買って食べた。

謝恩会があることは頭には入っていたが、予想以上に夜ご飯の時間が早まると云うことがスッカリ抜けていた感…。
結局、昼食を食べ終わったのが13時半頃だったのに、17時から謝恩会が始まり、お弁当が出たんだけど、17時半にお弁当食べ始めって…。
みんな昼食を摂ったのが遅かったので、完食出来る訳もなく…
でも衛生上の問題で持ち帰ることはダメだって云うので、ゼリーなどはみんなこっそり持ち帰っていたりしていた。

謝恩会って着替えとかどうするんだろう…と思っていたんだけど、みんな着替えて普通の服装で行くと云うので、Rayもスーツを着替えて、でもジーンズで行くのはなぁ…と思って結局ワンピースを着ていったんだが、普通にみんなジーンズなどカジュアルなラフな格好をしてきていた人ばかりだったから、私も普通にジーンズで行けば良かったな…。


前はバイキングと云うかビュッフェと云うかそういう形式だったらしいが、金額が高い上に残す量が多く勿体ないと云うことで、何年か前から仕出し弁当などになった。
お弁当だけでも充分なのに、海苔巻きやお稲荷さんまで付いていて、この他にゼリーとカットされたショートケーキまで付いていた。
正直全くお腹が空いていない状態だったので、半分近く残してしまった。
勿体ない。
だけど、だからって昼食を摂らないでと云う訳にもいかなかった。

覚えていたら、Kayたんの卒業式の時は昼食は軽めに食べるようにしよう…(でも7年後のことだから覚えている訳ないと思われるw)


ゲームをやったりしながら、担任の先生たちと校長先生が到着。
この後、先生たちは先生たちで打ち上げがあるらしく、先生達の分のお弁当などは用意されていない。
クラス毎に大体座っていたのだが、その合間に担任の先生や校長先生が生徒の間に割って入って座ってみんなと色々な話をしながら楽しみ、最後にクラス毎にまた記念撮影を。

単焦点レンズが綺麗に撮れるからってことでそのレンズだけ持って行ったら、ズーム出来ないからこれが精一杯だった…
もう一本レンズ持って行けば良かったよ…(苦笑)


担任の先生からの挨拶。
「先生は、中学にも交流がかなりあるし、良く中学にも行くことがあるので、キミたちが悪さなんかしたら直ぐ先生の耳に入ってくるからね!」
と軽くみんなを脅していた(爆)


最後は校長先生の挨拶。
また先生感極まって泣いていた(笑)
そして、泣きながら最後にこう云った。

「K林○○○(←校長先生のフルネーム)のことは嫌いでも、Y小のことは嫌いにならないでください!」

みんな大爆笑(笑)
最後まで、ユーモア溢れる、ホントにいい校長先生だった。

謝恩会は19時で終了。
その後、みんな中々帰ろうとはせず、みんなで何だかLINEの登録を仕始めた。
Rayもこの期に及んでLINEを登録してくれ…と。

中々巧く行かなかったが、何とか登録完了。

その日は夜中の1時までLINEをやりまくったRayであった…(´Д`)

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Ray、小学校卒業

2014年 3月20日

3月19日。
6年間通っていた小学校をRayが卒業した。

元々涙腺が緩いので、卒業式前はいろんなママ友や友達に「バスタオル持参で!」と云われていたけど、流石にバスタオルは恥ずかしいので(爆)ハンドタオルを持っていったのだが、結果的には泣かずに終わってしまいました(爆)

何故かと云うと…(笑)
それは読んでのお楽しみ(爆)ってことで(笑)←とふっておいて、実はそう大したことでもないんですけどね(爆)


卒業式の当日は、普段通り登校班での登校だったんだけど、最初に6年生を送る会があり、その後に卒業式。
だけど学校だよりには「8時半から6年生を送る会、11時卒業証書授与」しか書いてない。
しかも卒業式前に、当日保護者は何時に学校へ行けばいいのかってことが書かれている手紙もない…(苦笑)

結局、口頭で前日にお知らせがあったようだけど、Rayはあてにならなかったので、マンション内のママ友に確認しました(苦笑)

で、時間を確認して家を出発。

と云うのも、朝出る時間がKayのバスの送り出しの時間の前か後でかで、幼稚園に登園出来るか否かが決まると云う瀬戸際。
しかも幼稚園には前日までに連絡入れないとダメだったので、バスの送り出し後の時間に卒業式の受付開始時間で助かった。


いよいよ卒業式って感じ。

来賓の挨拶やら電報やら色々あって、校長先生の祝辞があり、いいお話だった。
Rayの小学生時代の校長先生は、このK校長先生。
女性の校長先生って珍しいな…と思ったのと、Rayが入学した年に着任して、Rayの卒業ととみに退職されるらしい。
ぃっしょに過ごしてきた6年間、一番思い入れがある生徒たちと共に校長先生も卒業するので、祝辞の途中では涙ぐんで言葉を詰まらせそうになっていた所もあったけど、本当にこの校長先生で良かったな〜って思えた。
みんなどの生徒も保護者もK先生が校長先生で良かったよね、いい先生だったねって話しているぐらいだ。

普通、校長先生って大体3年周期で異動するらしいのだが、K先生は、恐らくこれで退職だから、と云うことで、6年間Rayが通った学校に居続けていたんだろう。
本人から直接聞い訳ではないが、若かった頃、ここの教員として何年か生徒たちを教えた後に異動し、最終的に校長先生として戻って来た学校だから、特に思い入れが強い、と云う話をあちこちから耳にした。
運動会で、良く大学生ぐらいの男の子たちと話している校長先生の姿を毎年見かけていたが、どうも当時の教え子たちが、運動会の時に校長先生に会いに来ていると云うことだったようだ。

当時の生徒が会いに来るぐらいだから、本当にいい先生だったんだなーって思う。

そして、いよいよ卒業証書授与。

3クラスしかないが、各クラスの出席番号一番の子だけは全て卒業証書を読み上げていく。

Rayの隣のクラスの一番最初の子は、タイミング良く卒業式が誕生日の女の子で、生年月日を読み上げて「おー、卒業式が誕生日って絶対忘れないなぁ」なんて重いながら聞いていたら、証書を生徒に手渡す時に、校長先生が「お誕生日おめでとう」と云い乍ら渡していたのは印象的だった。

そして、いよいよRayの番。


前の子が証書を受け取っている時、学校旗の前で待機。


しっかり受け取りました。

校長先生はみんなに「おめでとう」と云い乍ら証書を渡しているんだけど、その他にも一言みんなに声をかけていた。
マイクを外して証書を渡しているので、何を話しているのかこちらには聞こえない。
Rayにも何か話していた。
それを聞いてRayは「はい」「はい」と頷いていた。

帰宅後、校長先生に何て声をかけられたのか…と云うことを聞いたら
「あなたは絵が大変上手で素晴らしかった。是非、その才能を将来に活かせるようにこれからも頑張ってね」
みたいなことを云ってくれたらしい。

6年間、1年の時から見続けてきた生徒のことなので、校長先生は全員の生徒のことを凄く把握している。
Rayは、絵が得意だったので、大概クラスの前の廊下ではなく、別の踊り場の所に選ばれて飾られているのが殆どだったので、校長先生も絵が得意…と云うことをちゃんと覚えていたのだ。

こういう一言は何れ大人になっても忘れない。

ホントいい先生だなぁ…。
なのに、定年退職させるなんて、ホント勿体ない…。


そして、5年生の送りの言葉の後「門出の言葉」が始まった。


卒業生全員が、一人ひとり一言ずつ門出の言葉を云う。
それ以外にも途中で色々な沢山の歌を歌い、気がつけば30分以上もあった。
一脚を持って行かずに片手でムービーを撮っていたので、ぷるっぷる手が震えて、終わった後、後ろの席に座っていたママ友たちに「Rayママの手がぷるっぷる震えてて笑いそうになっちゃったよ〜」って云われた(爆)

そんなプルプル状態だったので、感動的な言葉も歌も、涙する余裕もなく(爆)バスタオル所か持って行ったFaceタオルも使わず、珍しく涙腺の緩い自分が泣かずに卒業式を終えることが出来た。


退場。


だけどまた戻って来た(笑)
クラス全員で記念撮影があるからだ。


Rayはタイミングが良いのか、校長先生の隣の席に。


と云うことで、親のダンナと私はRayのそばに立つことが出来ずに撮影(笑)
ま、これもいい記念です。


Rayが卒園して、今Kayたんが通っている幼稚園からも祝辞がちゃんと届いていました。


最後は5年生や保護者のアーチの中を潜って、正門を抜けて帰るんだけど、これが中々出てこない。
しかも1組からだから、Rayの3組まで時間がかかったかかった(笑)
やっと担任のK野先生が出てきた。


門出の言葉の時、号泣していた生徒は何人か居たけど、Rayは始終ニコニコだった。


担任のK野先生と。


友達とも一緒に記念撮影をして、Rayの卒業式は終わった。


9:19 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(0) »

卒業式の朝

2014年 3月19日

20140319-080503.jpg

小学生最後の登校。
登校班での通学も今日で終わり。

6年間一緒に登校したマンションの友達とも今日でお別れ。

春からはみんな別々の中学校へ。

みんなに「バスタオル持って行かないと」って云われw
流石にバスタオルは恥ずかしいので、ハンドタオルで頑張りますw

8:06 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(0) »

RAY

2014年 3月13日



いつも通りAmazonでお買い物。
こういう時、大体発送がJPでヤキモキする(苦笑)
Primeは送料無料だし、早いから良く利用するけど、運送会社を選べないのが玉に瑕。

黒い猫と飛脚はいいんだけどねぅ…家の区域担当の人たち。
JPはねぇ…(苦笑)

夕方、購入履歴から何度も配達状況を確認して、いつの間にか配達完了にゲージが一気に来ていた…。
JPは更新がアバウトだから困る。

夕方に届いたのを早速、iTunesに入れて、そこからiPod touchに入れて…と。
Macのスピーカーは正直音が良くないから、その内、touchをBluetoothスピーカーに繋いで聞かなくちゃだな。
あ、TVのスピーカーも後付けで良い音のにしたから、Apple TVで聞いてもいいのか?
どちらの音質の方がいいのだろう…今度試してみよう。

昨日はtouchでRAYを聞きながら寝たんだけど、何故かtouchの方、再生がシャッフル設定になっていて、それを解除する方法がどうにも分からず。
一曲一曲、いちいちシャッフルされるのを止めて、曲順に聞いている内に面倒になって途中で寝てしまった(爆)

なので、正確にはまだ確り聞いていない。

これをまたRayのMacに同期させないとダメなのか…と思うと面倒だなぁ…。
iTunesもアップデート全くやっていないから、そこから先ず入らないとダメだし。

マメにMac起動すればいいんだけど、iPadが家に来てからは全くMacを弄らなくなっちゃった…(苦笑)

アルバムタイトルは「RAY」だけど、曲名は「ray」なのね。

で、RAYのTOURはRayと行くことになったらしい(笑)
何とかギリギリ、幕張のチケットが取れたんだけど、ギリギリで取ったからブロック指定だし、後方のブロックなような気がする。
大人に囲まれれば前回以上に見えない可能性が高いので、ドームのチケットが取れたらそっちをRayと行って、幕張はダンナと行こうか…と思案中。

って文章で書いてもややこしい(爆)
Rayをキャップアンドローでずっと表記し続けてきて良かったのかも?(爆)

7:04 カテゴリー:82's, Nursery's Diary | コメント(0) »

号泣の「ありがとうの会」

2014年 3月1日

2月27日は「ありがとうの会」があった。
他の学年は保護者会だったが、6年生は卒業間際に色々なイベントが目白押し。
2月上旬は受験する子供が最近は増えてきたので、比較的その頃はそういうイベントは行わないように学校側も配慮していたのかもしれない。

最初「ありがとうの会」がどういう内容のものなのか理解してなかったので、普通に仕事のシフトを入れていたのだが、Rayが1/2成人式みたいに一人ひとりスピーチをするんだよって云うので、1/2成人式の時はムービーが撮れなかったし、今回は行かないとダメだな…と。

学校に着いたら何人かは夫婦で来ていたり、おじいちゃんやおばあちゃんが来ている人も居た。

午後からなので、ダンナは今回来なかった。
新校舎側の下駄箱に自分の靴を置こうと思っていたので、新校舎から入ったら、靴を履き替えていた時、丁度タイミング良く担任の先生が通りがかって「あ、Rayさんの…」って声をかけられた。
下駄箱から右に行くとそこには保健室がある。
どうもそこに向かっている様子。

何だか厭な予感。
前日、学校から帰ってきてやたら「暑い暑い」って云っていた。
えーっ
と思いながら熱を計ったけど、6度5分。
まぁちょっとビミョーな感じ。
でも暑いって云っていた時だったから少し対応が上がっていたのかも? と思いつつ、その夜も熱を計ったけど平熱。
唯、ちょっと喉がイガイガする…と話していたのと咳をたまにしているぐらい。
今、ダンナが酷い咳で風邪菌をまき散らしているのは確か。
最近、Rayも受験が終わったので、学校にマスクをしないで行っていることもあったし…。
今朝も、体調を聞いたが「大丈夫、唯喉がイガイガする…って咳も出始めてるけど、そんな酷い状態じゃない」と云っていた。
風邪薬を飲んで行ってって話したのに、時間がなくて(朝はいっつもそう、ギリギリまでバタバタしている。準備してからiPadを弄れって話しているのに、そっを優先するからそんなことに…)熱を計ったら6度ちょっと。
まぁ平熱。
だから仮に溶連菌だったとしても、何とか今日は持つかなって思っていたのに…案の定発熱していた(苦笑)
保健室に居るので…と担任の先生に誘導され、保健室に行ったら、号泣しながら(爆)給食食べていた。
同じクラスの男の子もRayと同じぐらいの発熱だったが、食欲はあるみたいで、給食をぱくぱく食べていたけど(苦笑)
保健の先生に話を聞くと、発熱したのは11時ちょっと前ぐらい。
その時は7度1分だったけど、給食を食べた後に計ったら8度1分…。
平熱少し低めのRayにしてみれば明らかに高熱の類に入るレベルだ。
だが、本人は組み体操は無理だけど、合奏や合唱、スピーチは参加したい…と話していた。
でも担任の先生は、インフルか溶連菌の可能性もあるので、集団で行う所に参加させて周りの生徒に感染するのは困るので、残念だけど不参加で…と遠回しにRayに話している。
正直「参加されると感染したら困るから不参加に」って云ってくれた方がまだマシだと思うような遠回しな云い方(苦笑)
この会では、音楽組と体操組と分かれて発表があって、Rayは音楽組だったのだが、2組で未だにインフルエンザが流行っていて、この日も6人インフルでお休みしている生徒が居たため、体操組の組み体操のメンバーが足りなくなっているので、その穴埋めとして、Rayは音楽組だけど、体操組の方も参加することになっていたようだ。
だが、こんな熱が出た状態では無理なので、体操は不参加にするにしても、合奏と合唱、スピーチは参加したい…と号泣しながら「出たい」と訴えていた所に私が到着したと云う訳だ。

同じマンション内のSちゃんは前々日からインフルB型と判明して学校をお休みしていた。
「残念だけどインフルだから仕方がないね」
とSちゃんママも話していたけど、学校に来たのに、会が始まる前に発熱して不参加で…って云うのが一番本人も諦めが付かないし納得も出来ないだろう…。

音楽組では、最初にリコーダーで吹き、歌う荒井由美の「卒業写真」を。
その後に「ファランドール」の合奏。
「ファランドール」では、Rayはリコーダー担当で、リコーダーパートはかなりリズムが取りにくく速いテンポで吹かなければならず、練習も大変で中々成功しなかった…と話していたので、本人は本当に一生懸命みんなと練習して、何とか本番は間違えずに出来そう、と登校前にも話していたので楽しみにしていたのだ。
だけど、それも結局集団で行うことで、マスク着用では出来ないため、担任の先生は苦渋の顔(苦笑)
出たいと必死のRayを目の当たりにしているため、真正面から「出ちゃダメ」とは云えない(苦笑)

それは正直、優しさのなんでもないですよ、先生(苦笑)
寧ろ「もう帰って病院に行きなさい」って怒鳴られた方が、まだ優しいと思うんだけど(苦笑)

結局、スピーチは一人ひとりが全員するものなので、スピーチだけ参加。
しかもRayは3組なので、会の後半にスピーチがあるので、それまでは保健室で待機して、スピーチが始まる前に体育館に行くように…と云う条件の下、参加を許された。

私は、他の出し物も見たいのと、卒業式の後の謝恩会の受付もしなければならなかったので、体育館へ移動した。

去年の6年生の時も同様で体育館の壁面には、「毛筆で伝えよう」と、自分の好きな言葉で習字を書いて貼り出してあったのだが、習字が上手な子は本当に綺麗に書いてあった。



Rayは正直、習字は下手な方なので、あまり期待出来ないが、この習字は普通の書道とは違って、自分の好きなように書いていいものなので、部分的に小さく書いたり、時の並びも真っ直ぐ縦書きじゃなければならない…と云うものでもないので、みんなそれぞれ個性が出ていて見ていて楽しい。


Rayはこう書いていた。

この半紙は1枚100円もする高級半紙で(Rayは実際それを半分に切って2回書き、よりよく書けた方を提出したとのこと)透かし模様の入っている半紙に、今伝えたい言葉を書いていた。

他の生徒の中には凄い上手な子も居て、一人書道をやっているであろう女の子が書いた「桜」の一文字の桜の女の上の部分、3つの点の一番右側が桜の花びらで書かれてあったりしたのがあったり、力強い筆遣いで一言「魂」と書かれていたものがあったり…と生徒の個性溢れる文字が印象的だった。

その他に、オルゴールも展示されていたのだが、Rayはもう多分、自分のロゴマークを彫刻刀で彫っているだろう…と思っていたので、あまり探すのに時間がかからなかった。

元々、このロゴマークは、Rayの11歳の誕生日にミラーシールドをプレゼントしたのだが、そのシールドに焼き付けて貰うデザインとして私がRayの名前をロゴマークとしてデザインしたものだ。


払いの部分などもデザイナーとして確りデザインしたが、正直Rayにはそこまでの技はまだないのだけどw
6年生での色々な工作でも、このロゴマークをあちこちで使って作ってた。


予想通り、自分のロゴマークを彫っていた。



1組から始まるスピーチ。
一番最初がRayの幼なじみでもあるY君。
入学式の時の画像をスライドに使っていた。
体格も今ではRayより大きくなっているので、何となく声も低くなってきている。
Rayは体型も小さいし細いし身長も大きくないから、声変わりも多分中学に入ってからだろうねぇ…(苦笑)

スピーチの後は、最初の合奏と合唱。

最初に「卒業写真」
先にリコーダーで吹いた後に歌を歌って、またリコーダー(だったかな?)
司会の生徒たちが「みなさんご存知の歌だと思うので、一緒に歌ってください」と云っていたけど、みんなムービーを撮ったりしているので(笑)私は口パクで口ずさみながら聞いていた。
歌に変わった時、2番目の「揺れる 柳の下を」と云う部分、「やなぎ」の「ぎ」のとこ、原曲では高く上がっているのだが、1番同様低く歌っていた(笑)
原曲で慣れているとちょっと違和感がある。

後に、Rayに荒井由美の原曲を聴かせたら「ホントだ〜、高く歌っている〜」と驚いていた。
リコーダーで高い音が出ないからそうしたのだろうか…とRayと話したが、謎のままだった(笑)

「卒業写真」が歌い終わる頃、Rayが体育館にダッシュ(何故? w)で入って来た。
歌い終わりと同時に「ファランドール」の合奏をするための準備をするので少し始まりまでの間に間が出来る。
担任の先生は不参加、と話していたけど、音楽? をかけたりする準備のため、体育館の2階の通路に待機していたのが、Rayにとってはチャンスだった。
Rayが入って来たのを確認した音楽の先生が「いいから出ちゃいなさい」って背中を押してくれた。
だが、自分のリコーダーがなくて始められない。
みんなは待ってくれている。
保護者は何が起こったのか分かっていない。
私はRayがリコーダーがない、と探しているのが分かったので、みんなをまた差茶って申し訳ない…と云う気持ちがあるものの、あれだけ練習してきたのだから参加させてあげたいので、もう少しだけ待って〜って祈る気持ち。
教室まで取りに行こうと出て行ったけど、実は同じリコーダー担当の幼なじみのY君がRayのリコーダーを持って準備しておいてくれていたようだ。
誰かに呼び止められて、Y君からリコーダーを受け取り、やっと演奏が始まった。

リコーダー部分は結構難しいのだが(因みにファランドールはこんな曲)最初のAメロの後に直ぐ入るフルートとピッコロの部分、あれが、今回リコーダーで担当する最初の難関。
何度も練習して何とか間違えなくなったと云うけど、流石に難しそうだったが、みんな間違えずにクリアしたようだ。

その後、組み体操などあったが、Rayは不参加なので、同じクラスの発熱でやはり参加出来ずにいた男の子と保健の先生と一緒に体育館の片隅でじっと自分たちのスピーチの出番を待っていた。

Rayのスピーチの時のスライド写真は、キッズカートのレオンを買って、MOTUL ATECHのカラーリングをしたばかりの頃、中井で走る前にスタンバイしている時の画像。
何日か前にRayが「レオンの画像が欲しい」と話していたのだが、何故Maxじゃなくてレオンなのか? と謎だったけど、そのことを踏まえたエピソードをスピーチで話したからだった。

カート場は近所にはないので、遠征することになり、レースは朝が早い。
翌日はきっと疲れていただろうけど、いつもカート場に連れて行ってくれて、いつもご飯を作ってくれてお母さん、ありがとう…と云うような内容だった。

ちょっとうるっと来たけど(笑)流石に涙は出ずに終わる(笑)
だけど、同じクラスのH君のスピーチには泣けてしまった。
乳児の頃から知り合いで、学校でも1年の時に一緒のクラスになったこともあるのと、H君のママも元グラフィックデザイナーと云うこともあって、私の数少ないママ友の一人。
H君はアトピーなんだけど、そのことを話していた。
小さい頃から、アトピーで辛かったことが沢山あったけど、仕事で忙しいお母さんが「一緒に頑張って治そうね」といって、毎日欠かさず30分全身に薬を塗ってた、と話していたのを聞いた時は涙が・゚・(ノД`)・゚・
そうだよね…毎日のことだもんね、大変だよね…って思って泣けてきた。
クラス全員のスピーチを聞き終わった後は、朗読などがあり、校長先生のお話、保護者からのお話の後、最後に6年生全員で合唱、とあったが、もうRayは参加出来ないし、小児科に予約も入れたので、保健の先生に断りを入れてみんなより先に早退。

昇降口まで保健の先生が付いてきてくれたけど「ファンドール参加出来て良かったね。(担任の)先生が上に居たから怒られずに済んだね(笑)って話していた。
保健の先生もそうだけど、音楽の先生が「出ちゃいなさい」って出させてくれたことの方が優しさだわ…と改めて今年の担任とも微妙にウマが合わないな…と改めて思った。


夕方、小児科に行って、Rayは溶連菌に弱くこの年になっても毎年必ず感染するので、インフルと両方検査して貰った。
診察していた時、喉は殆ど腫れてないから溶連菌ではないと思うけど…と云われたけど、もし溶連菌だったら…と思ったら、また小児科に連れてきて検査しなくちゃならなくなるので、やって貰ったのだけど、やはり溶連菌は出なかった。
インフルも引っかからなかった。
もしかしたら発熱してからまだ5時間程度しか経ってないから検査で反応が出ていないだけかもしれない、と先生に云われた。
翌日までに38度越えた熱ならインフルの可能性があるので、また連れてきてください。
って云われたんだけど、金曜は私は仕事で、休憩時間にRayにメールを送ったけど、熱は7度5分ぐらいで8度を越えていなかったので様子をみようと云うことにした。
だが、土曜に入って朝、8度越え…

えー、発症してから48時間以内に薬を飲まないと効き目がないって云うじゃん。
慌てて小児科に予約を入れようとしたら、こういう時に限って、小児科が臨時休業(苦笑)
別に小児科に連れて行くしかないか…と予約を取ろうとしたら、もう予約がいっぱいで取れない(苦笑)
予約者優先だから、待っている間に48時間は越えてしまうし、Rayもそんなに辛くないからいいよ…と結局、小児科には行ってないが、コレもしかしたらインフルかもね…
でも今更なので、処方して貰った解熱剤と風邪薬で乗り切るしかないねぇ…。

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Kay、年中作品展

2014年 2月10日

2月8日。
ガンガン雪が降っている。
6時頃から「作品展は延期にします」って云うメールが届くんじゃないかって何度も携帯を見ていたけど、結局来ず。
後から先生に聞いたら、朝の段階ではまだ電車が動いていたから決行した、と云う話だった。
これで朝から電車が雪で止まってしまっていたら延期せざるを得なかった…と。

でも結局、その後もガンガン雪は降って横浜でも久々にかなり積もったんだよねぇ…

作品展の時などイベントがある時は、幼稚園バスは走らないため我が家の場合、自転車も二人乗り用のものがないから徒歩で行くしかない。
だが、この雪の状態でKayを連れて15分歩くのはかなりキツイ。

と云うことで、12SRで幼稚園近くのコインパーキングに停めて、そこから5分程度幼稚園まで歩くことにした。


先ず制作帳を見る。


雪が降っていてタイミングが良かったのか、壁にはみんなが作った雪の結晶が貼られてあった。


保護者参観の時に作った? 写真立てに七五三の時の画像を入れて。


紙コップで作ったウサギ。
ウインクしている所が成長を感じた。
だが、ウインクが反対なのがKayたんらしい(爆)


お当番表? かな、ロケット。


恒例の比較絵。
上が年中に上がったばかりの頃、下が最近のもの。
顔だけだったのがちゃんと身体も描けて人間になった(爆)


こちらも恒例の比較絵。
上が年少、入園して間もなくの頃のもの。
下が、良く見たら年少最後の頃に描いたヤツじゃん!
年中最近描いたヤツを撮り忘れていたよ(苦笑)

因みにRayの年中の作品展。
絵はやっぱりRayの方が上手いかな〜。
字は断然、Kayたんの方が上手。


最後は、ばら組担任のS先生と記念撮影!

毎年、体育館で全員で大がかりな作品展示があるんだけど、今年は元々なかったのか、悪天候を予想して変更したのか、普段は園庭で駄菓子屋さんが開催されるんだけど、今年は体育館での開催だった。
壁には色々なイベントの画像が展示されていて、注文購入出来るようになっていた。
人だかりが凄くて、パーッとダンナと手分けして見たけど、Kayが写っているものでいいものがなかったので購入せず。

帰り、コインパーキングまで歩いていた時、小さい商店街内にある整体? の前を通った時、Rayの時にお母さん補助の先生だったMみ先生と偶然再会。
Mみ先生の所は男の子4人で、一番下が実はRayと幼稚園で同級生。
年少の時同じクラスだったんだよね〜。
お互いに懐かしいねぇ…なんて少し話をして別れた。

9:54 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(0) »

「風雪強い」

2014年 2月10日

久々に関東圏でも雪が降る寒波がやってきた。

土曜は雪が降るって云う予報なので、金曜はいつもより早めに帰宅したダンナは、Rayと一緒に夜の間にせっせとスタッドレスに12SRを履き替えて準備万端(笑)

しかし、携帯で地元の天気予報をML登録しているのだが、土曜の予報が「風雪強い」と云う予報…。

人生初めて見た予報かもしれないw

横浜でこんなに積もったのは45年ぶりだとか…。
去年はまだエルグRider HPSだったが、今回は12SRなんで、初のFFでダンナはサイドを引きながらドリフトを楽しんでいた(苦笑)


買い物から帰宅した時は駐車場が一面真っ白。
30cmき積もっていたんじゃ…


庭で雪遊び開始。
去年の雪のことはKayたん、もう覚えていないんじゃないかなぁw


大きな雪だるま完成!

暴風雪に変わった夕方、こんな悪天候にも拘わらず家族全員で隣りの駅まで。
隣の駅に住んでいるK美ちゃん夫婦と焼き鳥MTG。
でも、Kへー君が具合が良くなくて、結局、5人で焼き鳥MTGだったけど、楽しかったし美味しかった〜♪



翌朝、起きて庭を確認したら、積雪の重みで、項垂れた雪だるまになっていた…(爆)


2年7ヶ月の戦い その3(6年生の話)

2014年 2月7日

6年生になり、担任の先生は2年連続で男の先生だ。
Ray的には女の先生が担任はかなり懲りているので、良かったとは思うが、6年生を振り返ってみると、私は6年の担任より5年の担任の方が良かったかな…と思う。

6年に上がってからは、兎に角内申点があまり望めないRayなので、それを少しでも上げられるように、宿題、提出物は絶対に忘れずに出すと云う約束をさせた。
だが、実際はやはりまだ出し忘れていると云うことも屡々。

塾の宿題はダイレクトに怒られるし、やらないとそれだけみんなから遅れを取るので、やらない訳にはいかない。
それに私立科からZクラスに転科したので、5年の時より宿題の量は減っているはずなのだが、今まで国数の2教科のみだったが、流石に受験まで1年を切ったので、4教科に引き上げたため、量的には去年と変わらないようだ。

周囲の子たちは遅くとも5年生から4教科に引き上げているだろうが、私立科だった当時、兎に角算数と国語で付いていくのにやっとだったので、ここで4教科にしてしまうと、どれもこれも付いていけなくなり自滅することもある、6年になるまで2教科で行きましょうと当時の塾の先生には云われていたので、春休みまでの段階で、5年の塾で習うべく理社の問題を復習させて貰うようお願いして、新学年が始まった。

内申は学校の成績だけがイコールではない。
普段の生活態度や提出物、行動力があるか…などなどそういう全ての面を見られて、それも内申点に響いてくるんだ…と云う話を何度もRayに話した。

実際、6年生になったからは、積極的に委員会の委員長に立候補したり、リーダーをやったり…と頑張ってはいたのだが、Rayの小学校は5月末に運動会がある。
全校生徒数が少ないので、騎馬戦は5〜6年生共同で行うのだが、6年生は騎馬戦の色別対抗で、その中で大将が毎年各一人ずつ選ばれる。
勿論、Rayは騎馬戦の大将にも応援団の団長にも立候補したが、結局どれも空振り。

その後にあった面談で、担任の先生が「Rayさんは、色々なことに立候補していますね、もしかして受験するんですか?」って聞かれたので、どのみち内申を作って貰わなければならないので、そのお願いもその時にする予定で居たので、します、と答えたら「だから色々立候補してるんですね〜、なる程。だけど、その割にはやはりまだ宿題を出し忘れをすることがありますので、提出物をきっちり出していただきたいです」ってやっぱり注意を受ける。
あれほど散々云っていたのに守れない。
塾でも先生に学校の宿題は絶対に忘れずに提出するようにと云われ続けていると云うのに…(苦笑)
委員会など積極的に立候補しても、多数決などで決まるものは大概Rayは出来ない。
辛うじてプロジェクトの委員長はやっているようだが、担任の先生には「受験で内申をよくしたいから積極的に立候補しているんだな」と完全に思われている。
しかもその担任の先生、受験する生徒にはあまり積極的ではない…と云うことを上の学年だったママ友から聞いたので、内申点は望めないな…となんとなく感じた。

夏休みに入り、今年は、お盆の数日意外はほぼ毎日夏期講習でどっぷり塾だ。
だから、学校の宿題は7月中には終わらせるように…と話はしておいた。
だが、中々集中力が続かない。
ちょっとやっては「ちょっと休憩」とか云い乍ら、iPhoneのゲームをやったりLEGOで遊んだり、Kayと一緒にミニカーで遊んだり…。
本来ならばこの夏が勝負であって9月からはもう受験体制に入るべきなのだが、この分だとRayは受験体制に入るのなんてまだまだ先だなぁ…などと遠い目。
それでも何とか7月中に学校から出された宿題は日記意外は殆ど終わらせた。
一番驚いたことは、読書感想文だ。
Rayの学校では3年生から夏休みの宿題に読書感想文が加わる。
指定図書も毎年あるが、別にその本でなくてもいい。
3年生の時は、昔のF1選手のことが書かれてある本を学校の図書室から借りて、それを読み書いていたが、正直、読書感想文を書くような内容の本ではない(苦笑)
しかもそれは以前にも借りたことがある本だし(苦笑)
4年からは指定図書を購入して書かせることにした。
そうじゃないと、宇宙がどうとか、人体がどうとかとか云うディスカバリー要素が強い図鑑系の本を借りてきそうだったからだ(苦笑)
4年、5年の読書感想文は本当最悪だった。
4年の時は、そもそも本を読むのがとっても苦手だったので、1ページ読むのに何日かかるんだ…って云う状態(苦笑)
入塾させた時にも先生との面談で、読力がかなり拙いですと私は話した。
興味がある図鑑でも宇宙関係の本でもいいので、「文字を読む」と云うことに慣れさせましょう…と先生からも指示を頂いていた。
だが、全く読力はアップしない。
与えた本も最初だけ1〜2ページは何とか読むけど、数日後には部屋の片隅に放置…なんてザラだ(苦笑)
私は読書は大好きだから、なんで読めないのかが不思議で仕方がない。
子供の頃も児童書はかなり読んでいた方だったので、読むのが苦痛…と云うのが理解出来ないでいた。

ダンナとも話したりして、先ずは面白そうな興味を惹きそうな内容の児童書から読ませると云うのはどうだろうか…と云う所から始まったのだが、実際4年生の時は殆ど失敗に終わった。

そんな具合だったため、4年の読書感想文は夏休みの最終日に号泣しながら書いて、私が添削してダメ出しして、また号泣…の繰り返しだった(苦笑)

5年生になり、相変わらず読力が弱いRayに、塾の先生がとうとう打診仕始める(爆)
「最悪、マンガでもいいです、但し文章の多いものを読ませるようにしてください」
と(苦笑)
マンガでもいいのかい…とツッコミ入れそうになったが、元々はRayがちゃんと読書が出来ないのが悪い。

文章が多いマンガ…
家にある中でそれに当て嵌まるのは「バクマン。」ぐらいしかない。
「おおきく振りかぶって」も当て嵌まるが、あれは野球のルールを知った上で読むのが面白いのであって、野球が何人でやるのかも当時知らなかったRayに与えた所で理解出来るとは思えない。
Rayは「カペタ」を読みたがっていたので、取り敢えず「カペタ」は読ませていたが、所詮はカートマンガ。
文章を読むと云う所を重点的に読む状態ではないため、それは読書としてカウント出来ない(苦笑)

「ハリー・ポッター」シリーズを全て私は持っているが、一応あれは児童書扱いになっていて10歳ぐらいだったら余裕で読める内容で書かれていると云うのをどこかで読んで知っていたので、Rayが4年生、10歳になった時、一度「ハリー・ポッター 賢者の石」を読ませてみたのだが、やはり数ページで挫折。
挙げ句「ママ、DVD出して」って_| ̄|○
Rayにはまだ無理なのか…。
確かに伏線も多いし回りくどい書き方もしているからなぁ…とは思うものの、小説と映画は同じではなく、小説ではかなり重要…と思っていた部分も映画では時間の関係などもあり端折られている部分も多い。
だから内容を知った上でも、小説である原作をRayには読んで欲しいな…と思ってずっと大切に保管していたのだが、この有様だ(苦笑)

そんな具合で、5年の読書感想文も、夏休みギリギリに、やっぱり泣きながら私に添削されダメ出しされて提出した…と云うRay(苦笑)

Rayが受験予定を考えている所には面接があるので、9月に入ったら本格的に面接の練習も始まる…と云う話だった。
唯、志望校が川崎市の学校なので、9月からは、土曜講座は川崎の支部へ転科することになります…と先生に云われていた。
通常のZクラスは今まで通り3駅先の塾へ通い、土曜だけは川崎へ通うことに。
家は川崎寄りの横浜市なので、色々なルートがあるが、バスで川崎に出ることが容易だ。
だから9月から土曜は川崎の塾にまた一人で通うことになる。

大体、夏休みに入るとどこの学校も学校説明会がある。
志望校の学校説明会には絶対に参加してください…と塾の先生からは云われていたので、ちゃんと説明会の日を調べて、Rayと二人で説明会に参加した。

家は横浜市に住んでいるので当然通っている学校は横浜市の公立小学校だ。
だから情報が入ってこない…と云うことに気がつきもしなかった。
(川崎市内の公立小学校には新設校が出来ること、受験資格のことなどなど細かな情報が学校側から生徒に配られていた…と後から知った次第…)

志望校として考えていた川崎市内に出来る新設校の学校説明会に行ったら、何と、横浜市民は受験資格がありませんって拒否された。

は?

同じ神奈川県じゃない…
そもそも、横浜市内にある学校は、学区外枠として、30%は横浜市外の神奈川県民は受験資格があるって云うのに、なんで?
と…。
説明会を受けてポカーンとなった。

どこまで本当かは分からないが、横浜市教育委員会と川崎市教育委員会はあまり仲がよろしくないとか…。
(後、神奈川県教育委員会と横浜市教育委員会もゴニョゴニョ…って)
そんなこと子供には関係のないオトナの事情じゃないか!
でもどんなに足掻いても、住民票が川崎市にない限り受験資格はない…と云われた。
入学する4月1日までに川崎市民に引越してなるのであれば学区外でも受験を受けることは可能です、と云われた。
いやいや、川崎市に引っ越しする気ないですし。

標準を全てそこに合わせていたので、6年生の8月と云う時期にも拘わらず、志望校を変更しなければならないことになってしまった。

神奈川県には3校、公立中高一貫があるので、偏差値がもうひとつより低い方の学校を志望したらどうだ…とダンナは云っていた。
家からだったら1時間ぐらいで通えない訳じゃないから…と。

唯、そこは受験の内容でディスカッションがある。
数人の集団でお題を出されてディスカッションして、それを試験官が見て採点する…と。
元々話すのが得意ではないRayには無理だろう…と思ったし、結局、その学校も学区外となるため、学区外枠での受験になるから倍率は跳ね上がる。

結局、最初に塾の先生に薦められた横浜市内の学校に、8月の頭に志望校を変更することになってしまった。

タイミング良く、その学校の最後の学校説明会直前にこの事件にぶちあたったので、説明会に参加することが出来て良かったよ(苦笑)

周囲の子供はみんな既に志望校はそこ、と決めて勉強してきた。
Rayは別の学校を志望していたので、やはり志など色々違ってくる。

しかも偏差値が高い。
その上、その学校は、面接はないけど小論文がある。
Rayの大の苦手な作文だ。

志望校は6年に上がる時に川崎の学校と先生には話していたけど、6年生の前期は土曜は横浜市にある学校がメインのクラスではあったので、作文の練習はしていた。
今までは全く書けなかったRayが、流石塾!
最初は50字から始まって、徐々に文字数を増やしていき、夏休み前には200字はスラスラと書けるようになっていた。

あのRayが!

毎年号泣して書けなかったRayがだ(爆)

そのお陰もあり、6年生の読書感想文は、たった1日で400字詰めの原稿用紙に3枚書いて宿題を終わらせることが出来た。

日記は毎日書くものなので流石に前倒しで書く訳には行かないため、日記だけは最後までかかったけど。

そして、志望校を横浜の学校に変更せざるを得なくなり、本格的に作文が確り書けなければならない状態になる(苦笑)
そのお陰で読書感想文は楽々書けたのだが。
今までの数年間を考えると、なんで書けなかったのか…と不思議でしかない。
だが、塾の先生は教え方が勿論上手いので、苦手な作文もドンドン書けるようになってくる。

そして、このタイミングを逃さずに、Rayに「ハリー・ポッター」シリーズを読ませることにした。
今まではダメだったハリー・ポッターの小説も、時間はかかるものの読めるようになった。
Rayは、内容を把握してから、映画と小説がどこがどう違うのかを理解したいと話してきたので、先にDVDでおさらいをした上で、小説を読むことに。
それで小説ではこういうことがあって、こういうのが書いてあったのに、映画ではなかった…と云う違いを理解出来るようになった。

毎年GWと9月のFSWで行われるSUPER GTにはキャンプを含めて行っているが、今年は9月のGTは断念。
もう塾も後期に入り本格的に本腰を入れる時期に入っているので、秋のGTは断念した。

ダンナはカート活動が取り敢えず終わってしまったので、週末暇だー暇だーと云い続けていた。
Rayは土曜も塾に通うようになったので、実質、Rayが自由に出来る時間は日曜しかなくなった。

9月から月一で必ず模擬試験が始まり、結果が良かったり悪かったり。
その度に教室内の席順を変更され続けたRay。

夏から新たに入って来た子も数名いたり…と慌ただしくも、電車通塾して日々に追われていた毎日。

そして、9月はカンピロバクターになって、一週間ほぼトイレと友達になり、学校復帰するのに時間がかかったこと。
家族みんなで食べた鮪の漬け丼。
Rayだけがカンピロバクターになって、Kayたんと私はピンピンしていた。

もう、こりゃ受験が終わるまではナマモノも控えた方がいいな…と肝に銘じた。
食べ物も、抗体力や免疫力を付けるために、と初冬からは毎日豚汁を作って食べる習慣を付けた。
根菜を沢山摂って、身体の中から菌に負けない身体作り…。
アスリートかよ…って自分でツッコミ入れちゃうぐらいだ(爆)

10月上旬に、6年生の前期が終わり、期待薄だったあゆみが…。
案の定可も無く不可も無い成績結果だった。
後期…これでいい内申点が取れる…とは到底思えない。

学校行事は最優先させること、と塾からは散々云われていたので、学校の行事は確り参加したが、願書を取りに行った初冬、担任の先生に内申の書類を校長先生に作成して頂かなければならずお願いをしたが、日々の生活に担任に目を付けられてしまっているRayはあまり望めないだろう…と私は半ば諦めていた。

11月にあった面談でも、提出物はかなり出るようになったけど、卒業関係に拘わるようなものが、やはり提出日に出ない…と。
それは忘れていたとかやっていないとかではなく、本人が納得出来ず、拘るがために提出期限の時間に出せない…と云うことがあり、納得出来るまで書き直したいと云う気持ちは分かるのです、自分が拘っているものに関しては、とことん集中して頑張る姿勢は素晴らしいのですが、やはり提出日を守らないのは結果的にマイナスになります…と云われる。

まぁ当然だよね、みんな時間制限がある中で書き終えているのに、Rayはそれを完全に無視して自分が納得出来るものを出そうとした。
それも大事かもしれないが、やはり提出期限を守らないことが一番悪い。

そういう部分が確り出来ないのがねぇ…と溜息をつかれる。

あー、もう、内申点は捨てた方がいいな…(苦笑)
とさえ思えてしまった。
一度目に付くと、人間は目で追ってしまう。
Rayは悪い意味で、担任の目に止まってしまったと云うことだ。

6年後期の内申は、実際まだ出ていない状態なので、仮と云う形で学校側に作って貰うことになっている。
だから少しでもAが増えるような印象があればよいのに…とは思ったが、提出物の期限を守らないのはねぇ…。
恐らく可も無く不可も無い内申だろう…と完全に諦めた。

もう後は、受験当日に少しでもいい点数を取るしかない…。

年末には作って貰えなかったので、年明け早々に受け取ると云うことに。
年明け早々には願書を提出するのだが、その時に内申書は同封しなければならないので、後期の後半が始まって早々に貰えるだろうが、かなりギリギリだな…。

願書に貼る本人の写真は3ヶ月以内に撮ったもの…となっているので、11月に入ってから私の同級生のお父さんが地元で写真館をやっているので、そこで撮って貰った。
スピード写真でもいいんだが、塾の先生は、ちゃんとした服装で写真館で撮ると、本人のモチベーションも上がるし、受験に向けて改めてキリッと引き締めないと…と思うからだとか。
まぁある意味これも中々経験することのないイベントのひとつ…と捉え、ダンナが駅前の愛用しているモッズヘアで髪を切る時に一緒に動向して、初めて美容院でRayもカットして貰ってから撮影して貰った。

冬休みに入るクリスマス界隈から冬期講習が始まり、冬休みは完全に殆ど休みがない状態でほぼ毎日冬期講習が行われた。
私は年末ギリギリまで仕事をして、Rayと入れ違いで帰宅し、Rayは塾へ…と云う日々。
お正月も正月特訓で大晦日も元旦も塾。
年末最後にもお弁当を作り、年明け初日もお弁当を作ったのは人生初だ。

Rayがどうしても元旦に川崎大師にお詣りに行きたいと云っていたので、塾が終わったらその足で川崎に向かうよう指示し、川崎駅で合流して初詣に行った。
(その時のblogはこちら

学校が始まりいよいよ願書提出。
塾の先生は、出来るだけ早い受験番号の方がよい…と話していたのだが、規定期限より先に到着したら無効になるのが怖かったので、期間が始まった朝一で提出。
簡易書留以外は認められず、我が家は郵便事故が本当に多発しているので、これだけは絶対に郵便事故に遭いませんように…と神頼みだった(苦笑)

受験票が届くのも本当にドキドキだった。
事故に遭ったらどうしよう…と。

無事、受験票が届いたから良かった。
受験票が届いたその朝一に、志望校からMLが届いた。
(登録しておくと必要なことをMLで配信してくれるのだ)
なんだろうと思って恐る恐る見たら、願書提出者数が志望校のHPに掲載された…と云う内容だった。

倍率が高いので、無謀とも云える受験だが、去年よりは若干倍率が下がった。
去年までは、国立と公立中高一貫の受験日がずれていたのだが、今年から、同日になったので、国立希望者が滑り止めとして受験出来なくなった分、少し倍率は下がるでしょう…と云う塾の先生の見解だった。

それでも一般的な中学私立受験の倍率の何倍も高い倍率なので、合格は難しいだろう…とは思っている。

ここまで頑張ったんだから、本来なら私立受験もして、その学校に通わせると云う方法もなくはないんだろうけどね、やっぱりまだ今年1年、私立幼稚園に通園すると云うのがネックだ。
なんやかんやと月4万以上幼稚園でかかる。
4月からは消費税が上がるため、それに伴ってバス料金など値上がるみたいだし…(苦笑)
子供を抱える家には、全くいいことない日本の経済事情。

せめて公立幼稚園があればねぇ…、Rayの受験もまた違っていただろうとは思うけど、こればかりはどうにもならない。

ダンナは倍率が高いから合格率が異様に低いから、余り期待してもするだけ無駄…みたいなことを良く云っていた。
まぁ確かにそれは一理ある。
でも、ずっと頑張ってきたんだもん、もしかしたらって考えが過ぎってしまうんだよねぇ…。

受験当日まで後僅か。

インフルやノロ、ロタ、急性胃腸炎、風邪…もう病原菌のオンパレードで、それだけが怖い。
体調が優れない状態での受験だけは何が何でも避けたいので、それだけに神経を集中していた1月終わり。

隣町では、インフルA、B、新型で学級閉鎖になっているクラスもあるって聞くともう、ホント怖い。
全国あちこちで、ノロで集団感染者も出ていたりするし、外食も控えるべきだ…と。

ジリジリと病原菌の包囲網に囲まれつつ、1月が終わった。

18:37 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(1) »

2年7ヶ月の戦い その2(過去を振り返る5年生の話)

2014年 2月6日

2年間厭な思いを沢山しながらも、やっと2年連続で同じだった担任から解放された5年生。

Rayは今まで一度も担任が男の先生に当たったことがなかったので、いい加減男の先生がいい…とずっと話していた。

5年生は初めて男の先生が担任になったので、Rayは4年の時とはうって変わって毎日不満もなく学校に通うように。
唯、Rayの学年は特にやんちゃが多い学年で、今までも色々な問題を起こした生徒が多々居たのだが、その中でも一番問題児と誰もが云う子と一緒のクラスになった。

3年生の夏休みに入って早々、金銭が絡むトラブルに巻き込まれかなり厭な思いをしたので、もうホント、その子には近づくな、ぐらいの勢いで人間関係を築くように…と話していた。

Rayの通う小学校の過去を振り返ると、大体3〜4年生で色々なことが起こるものの、みんな5年生になると落ち着いてくる…と云う話だったけど、Rayの学年だけは違うようで、あちこちで小さなトラブルは相変わらず起きているようだった。

5年に入り、塾でも定期的に面談があり、受験するかどうかの意志など聞かれていた。
私も色々と情報を入手して、Rayも受験してみたい…と云う話を仕始めてきたので、一応受験する…と云うことは塾の先生には伝えていた。
唯、金銭的な問題もあって、我が家は私立受験をすることが出来ないと云うことをRayにも話していた。
国立か公立中高一貫か一般的な私立受験と違って選択肢は少ない。
どちらにしろ、私立とは違って、内申も関係してくる。
色々と調べて行くと、5年生の後期と6年生の後期の内申が必要とのこと。
Rayが通う小学校は前期と後期の二期制で、評価はABCだ。
だが、Aは滅多に付けない学校らしく、余程天才的に出来る子じゃない限りAは付けないと聞いていた。
3〜4年の時は、それでも図工や音楽はAが多かったが、5年の前期ではAはなくなった。
CはないがAもない。
可も無く不可も無く…。

内申は授業態度や提出物などもかなり関係してくる。
そして、Rayはその頃、塾の宿題が多くていっぱいいっぱいと云うこともあり、学校の宿題が疎かになりがちになっていた。
提出日に提出しないことが多々あり、そうすると黒板に提出していない生徒の名前を書かれるのだが、いつも最後の最後までRayの名前が残っていると云うことが多々あった。

面談でも先生に勉強には熱心な方、唯、お喋りも始まると喋ることが多く、提出物が出ないことが多い…と注意された程。

これはイカン。
普段の生活態度も確り見られていて、宿題をやってないと、それがあゆみ(通知表)に反映されるんだよ、と再三云っていたが、中々治らなかった。

5年に入り、塾は週2日だったのが、土曜が加わり週3日になった。
土曜は組分けテストが行われるようになり、月に一度は塾ではない会場で普通に受験の時と同じように模擬試験を受けるようになった。
それの結果で、毎月塾の席順が決まる。
Rayが通っていた塾のクラスは私立受験科だったのだが、その中にもランクがあり、月一の模擬試験の結果でBからA、AからSへと上がっていく。
その他に御三家の専門クラスもあった。
Rayは当然Bクラス。
各クラスにも更にランクがあったので、RayはBの一番下のクラス。
その中でもいつも成績は後ろの方だったので、いつも席は後ろのドアの傍の辺りをフラフラしている状態だった。

5年の後期に入って、案の定、前期のあゆみの結果は可も無く不可も無くだ。
後期は内申に拘わるので、提出物は絶対忘れないで提出期限に必ず出すように…と再三話していた。
それでもたまに出していないものもあったようだ。
面談の度にそこは先生から云われ続けた(苦笑)

その頃には、もう大体どこを受験するのか…と云うことは固まってきていた。

今は私立受験科に在籍しているが、6年生になれば、土曜のYTが公立中高一貫クラスへと変更になる。
そのクラス(Zクラス)は地元の塾ではクラスがないため、6年生に入ったら、地元の塾ではなく、電車に乗って3駅先にあるZクラスがある塾へと転科することになっていた。

今まではMTBで駅まで行って、そこから徒歩で塾に通っていたが、6年生からは駅まではMTBで、そこから電車通塾することになる。
一人で電車に乗って通ったことなどないし、知らない子ばかりの所に通うことになるので、最初は不安がっていたが、子供は順応するものだからあまり心配はしていない。

学校の方は兎に角提出物を、と口が酸っぱくなっても云い続けていたが、4年の時よりはマシになったものの、忘れず提出すると云うことは出来ないままだった。
後半に入ってからは、クラスの問題児に先生がかかりっきりになりつつあって、恐らくストレスだろう、暫く担任の先生が休んだりすることもあったり…と色々あった。

6年に入ったら、カートをやっている場合ではないので、カートは5年生で一端終了と云うことはRayも納得していた。
だからカートもシリーズチャンピオンを獲るチャンスはこの年が最後だったのだが、結果はやはり4年の時と同様でシリーズ3位で終わった。
カートのレースがある時は土曜の塾は休むことになっていたが、流石に6年生になってカートを続けて受験と云う器用なことは出来ないと思っていたし、正直カートなんてやっている場合ではないだろう…と云うのが正直な所だ。
宿題を終わらせなければカートにも行かせないと話していたが、どうしても終わらない時はカート場に宿題を持って走行待ちの時間の時にやったりもしていた。

結局、本人は頑張ったと話していたが、内申に拘わる5年後期の内申も可も無く不可も無い結果だった。

6年で挽回しないと内申点が低いとそれだけ受験で高得点を取らないと合格は厳しいとRayには話したが、果たして6年の成績はどうなるのか…。

塾は1月で学年が終わり、2月から新学年度が始まる。
1月末から2月頭までは、塾の先生は受験生にかかりっきりになるので、Rayの新6年生は2月中旬から始まった。
その時から今まで通い続けていた地元の塾から3駅先の塾へ転科したので、今まで20時過ぎには帰宅していたのも、早くても20時45分頃。
居残りをしたりしたら21時を越える帰宅と云うことも屡々。

まぁ家は男の子だから心配することもない。
兎に角事故には気を付けるようにと云うことと、怪しい人には近づかない、何かあれば叫んで助けを求めろ(笑)と話していた。
女の子のママは、駅まで迎えに行ったりしていたから大変だよなぁ…と思った。
そういう所は男の子だと楽だな(笑)

最初は知らない子ばかりだから緊張もあったようだが、そのクラスは周囲のあちこちの小学校からみんなが通ってきているので、Rayと同じ学校から通っている子は一人しか居ない。
でもみんな色々な所から来ているのだから、さして気にすることもないだろうし、勉強する場だから、学校のように何かある…と云うことはないから心配はしていなかった。

新6年生度に入ったので、いよいよ志望校を確定しなければならない。
先生は横浜市内にある学校を薦めてくれていたのだが、そこは偏差値も高いし現状のRayでは絶対合格なんて無理と思っていたので、家から通うにも1時間もかからないと云う理由もあり川崎市にある学校を志望校にした。
唯、その学校、2014年度に開校するので、過去問題もないし学校そのものの情報もない。
唯、高校は前からあり、そこに中学校が併設される併設型なので、高校の偏差値から考えると、恐らくこれぐらいだろう…と塾の先生からは聞かされていた。
まだそちらの方が合格する可能性はありそうだし、再三先生は市内の学校を薦めてくれていたんだけどねぇ…。

だが、6年生の夏に大どんでん返しが起きる訳だ(苦笑)

と云うことで、6年生へと続く。

2年7ヶ月の戦い その1(過去を振り返る4年生の話)

2014年 2月4日

2014年2月3日が決戦の日だった。

そもそも受験をするなんて、全く考えてもいなかった。
そう考えると、ある意味、あの担任には感謝すべきなのか…と一瞬思ったが、やはり感謝する気にはなれない(爆)

学校の先生のことを悪く云うのは良くないことなんだろうとは思う。
だが、実際問題、3年4年の2年間は、Rayにとって地獄のような学校生活だったのは事実。
よりによって、なんで同じ担任に2年も教わらなければならないのか…。
本当に運が悪いとはこのことだ…と思ったことが何度あっただろうか。

3年の終わりに算数の教科書が全て終わらないと云う事実を知ったのだが、担任はそれをフォローすることもなく、そのまま3年が終了。
他のクラスは全て教科書を教わって終わっていると云うのに、Rayのクラスだけ終わらなかった。
だから3年生の算数の教科書で習っていない部分がRayにはあった。

3年生の時は、本当に色々とあった。
中学年はギャングチルドレンと良く云われるが、本当に第一次反抗期とでも云うのか、Rayにしても嘘は付くわ、良くないトラブルに巻き込まれるわのオンパレード。
Ray本人は根本的には素直なのに、それが全て裏目に出て仇となり、担任には酷く嫌われていた。
女の先生だからと云う風に云っちゃだめなんだろうけど、あの担任は本当に自分の腹の虫が治まらないと、生徒に普通に八つ当たりするし、面談の時も酷い云われようだった。
それを私も2年間、良く我慢したなーって思う程酷い担任だった。
自分のお気に入りの子は絶対悪く云わない。
ちゃんと(ちょっと大袈裟な云い方だが)被害者側、加害者側の両方の話を聞いてくれればまだマシだが、自分のお気に入りの生徒がその中に含まれていると、他の生徒の意見は右から左でスルーし生徒の意見をちゃんと聞こうともしない。
そんな担任に嫌気が刺していた所、何とか我慢して3年が終了して「4年生になったら別の先生が担任になるから、それまで頑張ろう」とRayを慰めて何とか休まず学校に登校させていたのに、4年生に進級した初日、もの凄い不機嫌な状態でRayが帰宅したのを今でも覚えている。
「同じ担任だよ! なんでだよ!」
って。
それからは益々酷くなった。
試験的に算数だけ学年3クラスあるのだが、クラス関係なく能力別にクラスを分けての授業と云うことが行われたりした。
当然、Rayは一番下のクラスだ。

夏前にも学校で担任に厭なことを云われて泣きながら帰宅したこともあった。
「もう学校行きたくない」
当時を振り返れば、Rayはかなり限界が来ていたんだと思う。
算数は益々付いていけなくなり、4年の面談でも担任にRayのことをボロクソ云われた。
いい所もあるのに、そういう部分は全く振れず、ちょっとクラスの子と云い合いになったりした時のことを延々と「Rayさんは自分が悪いのに謝らない。自分の非を認めようとしない。その姿勢は如何なものか」と捲し立てられた。
流石にもうこの担任じゃダメだな…と残念に思いながらも、自分の子供の意見は全く聞こうともしないで、相手の子供の意見ばかりを聞くその態度はどうなのか、3年の頃からその態度を改めたことがないけど、教師として生徒を差別化することは恥ずかしい行為ではないのかと反対に捲し立ててやった。
それ以降、益々Rayに対する風当たりは強くなるだろうとは思ったが、我慢が出来なかった。
どうせ云わなくたって、Rayに対する態度は改まらないのだから、云わないままだと泣き寝入りで終わる…と。
算数の授業でも付いていけなくなってきたのだが、担任が担当の時は(能力別にクラス分けして算数は教えていたが、先生は毎回ローテーションだった)出来ないRayを見捨てて、どんどん先に進んでいったらしい。
実際その授業を自分が見ていないから、本当かは分からない。
だが、面談で一対一になった時でも平気でRayのことを悪く云い続けていた担任だ、Rayのことに対して親身になってくれるような担任ではないことは既に理解していた。

担任のせいでRayはどんどん学校が嫌いになりつつあった。
教室で友達と話をしたり遊んだりすることは好きだけど、担任が厭だ、何かあると直ぐRayと、もう一人担任が気に入らない生徒のことを注意して怒る。
学校からの通達のプリントを帰る前に配られたから、忘れないようにランドセルに入れていたら「誰がランドセルを触っていいと云った」と怒ったらしく、それが本当に悔しくてと泣きながらその日は帰宅した。
そもそも、中休み(午前中に20分の長めの休み時間がある)に筆箱を机の中にしまい忘れていたら、校庭で遊んで教室に戻って来た時、消しゴムが細かく切り刻まれていて使える状態じゃなかったと云うことがあった。
Rayは泣きながら「消しゴム買って」と云ってきたことがあった。
「この前買ったばかりなのになんで?」と云ったら切り刻まれて使える状態じゃない…と話して来た。
先生には話したのかと聞いたら「云ったよ! だけど、先生は『Rayさんがちゃんと机の中に筆箱をしまわなかったのが悪い』って云ったんだよ! やったヤツが悪いに決まっているじゃん、だけどしまわなかったオレが悪いってさ」
どうかと思う。
そもそも人のものを勝手に取り出して切り刻んで喜ぶ子供もどうかと思うが、それを野放しにして、挙げ句の果てには筆箱を片づけなかったRayが悪いの一言って(失笑)

このままでは学校そのものも嫌いになるし、算数は益々付いていけなくなる。
今は4年だが、5年になればもう少し難しくなるのに、この状態のまま進級したら完全に置いて行かれ、先のことを考えれば、中学では完全に落ちこぼれ確定だな…と思った。

だから、4年生の夏に塾の体験授業に入塾させることにした。

周囲はみんな4年生に入った春か、4年の夏から塾に通わせる子供が多かった。
そして、大概はN研。
駅前に聳え立つN研のビル…。
確かに中学受験をさせるにはN研だろうが、別に家は受験させる気なんてなかったので、N研に入れるつもりはなかった。
元よりN研は高いと聞いていたので、そんなに高いお金は払えん! と思ったからだ。
色々あちこち調べてみると、駅前にある塾は限られている。
サピは頭がいい子じゃないと入塾出来ないと聞いたし、お金も一番高いと聞いた。
勿論落ちこぼれそうなRayが入れる訳がない。

たまたま、オカンとそういう話をした時に、臨海セミナーが夏期講習の体験を募集していると云う広告を見つけたと云ってきたので、試しに入れてみることにした。
体験なので、通常だったら数万かかる所が、4200円程度で夏期講習が受けられる。
安いし試しに塾に入れてみて、続けられそうな状態だったら、正式に塾に入れるのもいいかな…と思って通わせたのが始まりだ。

塾に入れたママ友に話を聞くと、自分の子供に合う塾とそうでないのがあって、合わないと本当に勉強嫌いになる、だから自分の子供に合った塾を探すのが大変…と云う。

塾の選択肢もそんなに地元ではないのに、合う合わないとかあるのか…と、合わなかったらどうしたものか…と思っていたが、Rayは臨海セミナーが肌に合っていたようだ。

夏休みの夏期講習、毎日今まで考えられないぐらい勉強しているのに、毎日「楽しい! 面白い!」と塾に通っていたRay。
いいことだ、だが、これは良くないことにも繋がるとは分かっていた。

塾が楽しくて学校に行きたくない…と云う子供が居る…と云うことは耳に入っていたからだ。

Rayは元々学校が厭で仕方がなくなっていた状態だった。
担任のせいで。
学力面の心配があったから塾の夏期講習に通わせたのだが、恐らく近い内に云ってくるだろうな…とは思っていた。

「塾で勉強していれば、学校なんて行かなくてもよくない?」

って。

案の定、8月の終わり、前期の後半に突入して早々、Rayはそう話していた。
その時にはもう、塾に通い続けたいと云うRayの意志は固まっていたのだ。

たまたま、地元の臨海セミナーは普通科と受験科があった。
受験させる気なんかなかったから、普通科に入塾させようと思っていた。
学校の授業に付いていけるようになってくれればいい…と思っていたから。
だけど、塾側も当然商売だから上手いことを云う(笑)
受験科に入っていれば、受験しなくてもいいんだし。
だけど、普通科に入った後から受験をやっぱりしたい…となって受験科に転科すると授業に付いていけなくなる子供が実際居て、結果的に塾を辞めてしまう子供も居ます…と。
受験するしないは後から考えてもいいことだけど、もし受験することになった時、普通科だったら遅れを取り戻すのに大変な努力をしなければならない、と。
と云うことで、一先ず受験科に入塾することになった。
受験する予定は全くなかったのに(笑)

家はKayも居るから、私立なんて絶対無理。
そもそもカートを当時はやっていてカートで年間そこそこお金をかけている。
だから生活に余裕がある状態ではないし、私立なんて通わせることになると考えるだけで頭が痛い(笑)
でもここで初めて塾の先生から話が出た。
「何も受験は私立の学校だけが受験じゃないですよ? 国立だってありますよ?」
と。
そうか…授業料がかからないけど受験がある学校もあるのか…とその頃からそういう学校の情報を色々と入手仕始めた。

塾で勉強していることが全て学校で学ぶこととは限らない。
受験でしか出ない問題も実際あって、それらは学校では学ぶことがないけど、反対に塾で習わないことを学校で習うこともある。
だから学校で学ぶことはとても大事で、学校を通うことが一番大事、と塾の先生に云われて、結局、Rayは渋々学校に通うように(苦笑)
まぁ登校拒否にならなくて良かった。

塾に通うようになってからのRayは、それまで最下位を蔓延っていた算数だったが、クラスで1、2と云ってもいいような位の出来になった。
当然担任も文句はない…と思ったが、今度は、学校で習うことよりずっと先のことを学ぶ塾なので、塾ではとうの昔に習ったことを学校でやる時、スラスラと解けてしまうRayに対して「みんなは初めて習うことなんだから、スラスラ解けるからって答えを先に云うんじゃない」みたいなことを云うようになったようだ。
次から次へと厭きさせない担任だわ(爆)

流石に3年連続同じ担任と云うことはない。
そもそも、この担任が高学年を受け持つ程の経験がまだないから絶対に5年の担任になることはないから、とRayに云い聞かせながら、何とか4年生を終了した。

次へ続く。

20:20 カテゴリー:Nursery's Diary | コメント(2) »
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